解説・「独立記事作成の目安」と「特筆性」
Wikipedia:「特筆性」は有無の問題ではなく大小の問題である
- 「特筆性」とは
「特筆性」という語はウィキペディア日本語版による造語です。
よく一般に「これこれのことは特筆に値するよ」という表現をしますが、それと異なる、特殊な概念である、ということに注意してください。
Wikipedia:独立記事作成の目安の冒頭部にあるように、ウィキペディア内で「特筆性がある」という場合には、「対象と無関係な信頼できる情報源において有意に言及されている状態である」ことを意味します。
原語は英語のnotability
特筆性という語は、ウィキペディア英語版で用いられていた「Notablity」という特殊な概念を日本語化したものです。
このNotabilityという語は英単語としてもあまり一般的な語ではありません。(中辞典クラスの英和辞書には掲載されているでしょうけれど、「著名」「卓越」「名士」程度の訳語が出ているだけでしょう。)一般的な英単語としては、notable「注目に値する、著名な」という語があり、これを名詞化したのがnotabilityです。そのためウィキペディア日本語版では、古い時代には「著名性」と訳していた時期もあります。
断定はしない・できない
ウィキペディアは百科事典ですから、森羅万象いろいろな事物を掲載し、言及します。しかし個々の記事の主題は、百科事典に収めるに相応しい程度には、よく知られた・重要性があるものである必要があります。この「よく知られた」は、必ずしも、「多くの人が知っている」=知っている人の数が多い、ことを意味しません。
我々は一人ひとり、異なる知識や経験を持っています。Aさんにとって「よく知っている」事物でも、Bさんはよく知らないということはあります。Aさんが「こんなの当たり前、知っていて常識、重要なこと」と考えても、Bさんにとってはそうではないかもしれません。そう考えると、何が「よく知られた」「重要性がある」ものであるかを決めるのは、難しいところがあります。
黎明期のウィキペディアでは、ありとあらゆる森羅万象を収録しようとして、編集者はとにかく何でも情報を増やしましょうと言っていた時期がありました。しかしやがて、「いくらなんでもそれは不要では」「いや必要だ」と意見が分かれるようになりました。こうした判断は各人の主観に委ねたままだと、意見の隔たりが大きく合意が形成できないようになっていきます。
そこで、「必要・不要」を客観的な・第三者的な目線で判断できるような基準が求められるようになりました。その基準を<特筆性>と呼んでいます。
簡単に言うと、「その事物が本に書かれている」ならば、それは掲載の「必要性」がある、とみなそうというものです。「みなす」というのは、「XとYは別のものかもしれないが、同一であるものとして扱おう」ということです。ですから方針文書では、「特筆性がある」と断定するのではなく、「特筆性があるとみなす」「特筆性があると推定する」というような表現をしています。
その事物が本に書かれ、刊行されているならば、それはその対象を「本に書き残す価値がある」と考えた人がいたこと、そしてその考えを支持した出版社があったことを示している、と考えて良いでしょう。
- この考えかたに従えば、自費出版や、自己公表された情報源、個人HPやブログなどがウィキペディアでは要注意な情報源とみなされることになります。
たとえば、今これを書いている私の目の前には、マグカップが存在しています。そのマグカップは視覚や触覚で確認可能であり、おそらく実在しているでしょう。しかし「私の目の前にマグカップがある」という事実は百科事典に残す必要があるでしょうか。おそらく無いでしょう。それは、「Aさんの机にはマグカップがあった」と書いた刊行物が存在しないことから推定されます。一方で、ナポレオンの机にいつも置いてあるマグカップがあったとして、そのことが複数の書籍で触れられているとしたら、それは「ナポレオンの机にはいつもマグカップがある」ことを後世に伝える必要があると考えた作家・出版社がいたことの証拠といえるでしょう。
このように多くの場合、「それについて言及した本がある」という事実をもって、「<特筆性がある>とみなそう(推定しよう)」ということになっています。ただしこれはあくまでも仮の「推定」ですから、多くの編集者によって「<特筆性がない>とみなそう」という合意がはかられることもあります。
特筆性があるものとして扱う場合
本来は、「特筆性がある」ことを示すためには、それに相応しい情報源を示す必要があります。
しかし実際問題としては、それが行われていない(適切な情報源が示されていない)記事も数多くあります。その事自体は、素晴らしいことではないかもしれないですが、しかたがないことでもあります。
そうした場合、大原則は、その記事を適切なものとして認めず、削除してしまうということになります。が、本当にそうすると、これまで長い時間をかけて成長してきたウィキペディアの多くが失われることになり、「全部削除する」というのもまた非現実的な極論といえるかもしれません。(もちろん、そうやって本当に条件を満たしたものだけど残して、あとは全部消すべきだ、という人もいるでしょう。)
そこで、いきなり消してしまうのではなく、当座は「特筆性がある」と推定するだけの根拠が示されていない記事でも、「きっと特筆性があるだろう」とみなして残しておこう、という暫定的・一時的な対応をすることにします。それが「特筆性の判断基準」です。
記事には「情報源」がまだ十分に示されていない場合でも、よく探せばきっと適切な情報源があるはずだろう、だからひとまず残しておこう、という考えかたです。
例をあげると、
「独立記事作成の目安とは」