202006

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統一なんてくそくらえ

「統一」の弊害

非生産的な統一議論

何かを「統一」しようとすると、「どう統一するか」の議論が始まります。

しばしばそれは長い論争を伴います。

ですが考えてみてください。既にあるものを「統一」したところで、たいてい、情報はなにも増えません。統一議論は生産的ではないのです。

紙の刊行物とは違う

市販の百科事典では、たいてい冒頭に凡例があり、事典内の書式が統一されています。

市販の百科事典は紙に印刷されており、経済上の要請からページ数の制約があります。できるだけ文字数を圧縮するために、略記号などが多用されます。

しかしWikipediaには紙面の制約はありません!

編集長などいない

多くの刊行物には、その内容を管理し責任をもつ「著者」や「編集者」「編集長」がいます。内容がどうであれ、その人物が決定権をもっています。

ですがWikipediaは様々な利用者が互いにフラットな立場で参加します。そこへ統一性を強制する「編集長」などいません。

変化や進化を阻害する

Wikipediaの長所は、常に変化し続けることです。

よりよい方法を誰かが思いついたり、技術的な理由で新しい方法が可能になったり、社会や世界の変化に追随しようとしたり、既存の方法に欠陥がみつかったときに、「統一」が進化を阻害することがあります。多様性は進化の源泉なのです!

外形上の美観にこだわるな

「統一」は、しばしば外形上の美観「統一美」の追求として行われます。

ですがWikipediaの閲覧環境は多様です。変化し続けるでしょう。誰かにとっての「美」は、ほかの誰かにとっての「醜」かもしれないのです。「統一美」はしばしばファシズム的要請と結びつきます!「ファシズム」と「ファッション」とは言葉として親しい関係にあるのです!

「スタイル厨」になるな

「デフォルトソート」を「DEFAULTSORT」にしたり、「DEFAULTSORT」を「デフォルトソート」にしたり、ときおり、記事の細部のスタイルを自分好みに変えていくだけの編集を繰り返す利用者がいます。やめましょう。非生産的です。

たいてい、そのあとで、別の利用者がまた自分好みに変えていきます。

きちんと調べ物をして記事を執筆する人がやりやすいやり方でいいのです。その人がやりにくいスタイルに「統一」するのは、生産活動を阻害することさえあるのです!

たいてい、いろいろな意見の人がいる

「これが唯一絶対至高の方式だ」と信じ込むのはやめましょう。

あなたと違う意見のひとは必ずいるのです。

合意は尊重せよ

とはいえ、既にコミュニティによって合意されている方式を、むやみに無視してまわるのはやめましょう。

独断で変革を試みるよりは、あらかじめ周囲に説明して理解を求めるのがよいでしょう。