20200703

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なんとなく気になってたので、さらに追記。自分で記事を書いていて最近感じることを織り交ぜつつ。

  • 基本、「㭍月例祭の考え」であり、他の人に受け入れられるかはわからない、という前提で。たぶん反対意見もあるようなことです。
  • まず記事の主題次第ということ。前も書きましたが、植物とか山とか川とか星とかについて書くのと人物について書くのでは違うということ。同じ植物でも、人間との関わりが深いかどうかでもちがう。花粉症の原因になっている杉と、毒にも薬にもなっていなさそうな広葉樹では違う。人物記事でも、平安時代のマイナーな文人と、現代の活動家では違う。要するに人や立場によって評価が変わるような事物なのかどうかで違う。
  • A.まず主題全体を俯瞰的・巨視的な観点で見下ろした情報源をいくつか用意する。(例:百科事典、通史)
  • B.主題全体を網羅的にカバーする情報源をできれば複数用意する。(例:伝記)
  • C.主題のなにかについて特化的に注視分析する情報源を確保する(例:研究書)
  • D.主題についての研究史をみつける(例:論文、研究書)
  • E.主題についての同時代的評価をみつける(例:新聞の縮刷版)
  • Aに基づいて、全体における主題の位置付けやバランスをとり、概論通説を書く。
  • B-Eを利用して記事本体を書く。
  • A・Bを複数(多いほど良い)用意し、通説・定説と、珍説・少数派意見を見極める。
  • 評価に関わる記述についてはD・Eを参考にしつつ、前後関係に気を使う。
    • ふつう、1990年代の分析評価は、1970年代に行われた分析評価を、批判的であれ肯定的であれ継承している。それを逆転させない。必ずしも叙述の順番の後先と時代の後先が一致する必要はなく、定説と珍説のバランスをとればいいのだが、ちゃんとわかるようにはしておく。
      • (例)△ Cという意見[1990]がある。これに対しB[1970]という意見がある。
      • (例)○ 肯定的見解としては田中のC意見がある[田中1990]。否定的見解としては鈴木のB意見がある[鈴木1970]
      • (例)◎ 肯定的見解としては田中のC意見がある[研究史2020]。否定的見解としては鈴木のB意見がある[研究史2020]

Wikipediaの特性として、多くの利用者が長年にわたって断片的に書き足すというのがあるので、記事全体のバランスをはかるのは難しい。きちんと調べてがっつり書けたと思ったら思い切って白紙化全面改稿する選択肢も。ただし参加者の多い記事ほどそれをやるともめる。ここが一般の出版物との大きな違い。また、重要で根幹的で知名度の高いテーマほど、情報源が多く多岐にわたり、まとめるのは難しい。マイナーでニッチなテーマほど書きやすい。

私は、「これが定説である」「これは重要なことである」ことを間接的に示す手法として、複数のrefをつけるのがよいと思っています。cf.{{単一の出典}}

  • (例)△ Xである[1]。Yである[1]。Zである[1]。これはWだからである[1]
  • (例)○ Xである[1][2][3]。Yである[1][2]。Zである[1]。これはWだからである[1]

ただし反対意見として、refの数が多いと鬱陶しい・見苦しいという意見や、同じことを書くのに複数の情報源をつける必要はない(つけないべきだ)という意見もあるでしょう。私は「鬱陶しい見苦しい」には賛成ですが、しょうがないと思っています。まあ程度問題だろうと思います。記事を書くのにたくさんの情報源を読むのはよいことで、そうするとついつい[1][2][3][4][5][6][7][8]みたくやりたくなるものであり、その心情はわかる。