5代ローズベリー伯爵
5代ローズベリー伯爵アーチボルド・プリムローズ(Archibald Primrose, 5th Earl of Rosebery, 1847-1929)は、19世紀末のイギリス首相である。
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家柄
両親
祖父が第4代ローズベリー伯爵(1783-1868)である。
5代ローズベリー伯爵は、4代伯爵の長男アーチボルト(1809-1851,Archibald Primrose)の長男である。父のアーチボルトが祖父より早死したために、伯爵位を祖父から相続して5代目となった。
母は4代スタンホープ伯爵(Philip Henry Stanhope)令嬢のキャサリン(Wilhelmina Powlett、1819-1901)という。両親のあいだには、2人の息子と1人の娘がおり、5代ローズベリー伯爵がその長兄となる。
父アーチボルトは、祖父がまだ4代ローズベリー伯爵として存命だったので、「ダルメニー卿([[Lord Dalmeny)」と呼ばれていた。1951年、5代伯爵がまだ4歳の頃に父であるダルマニー卿が胸膜炎で急逝したため、「ダルメニー卿」の名を継いでいる。
母はその後、1854年に3代クリーブランド公爵の息子ハリーと再婚した。のちにハリーは4代クリーブランド公爵となったので、母は「クリーブランド公爵夫人」となった。ただし、クリーブランド公爵とのあいだには子はなさなかった。母はのちに歴史に関する著作で知られている。
家族
5代伯爵は1878年に、ロスチャイルド男爵の一人娘ハンナと結婚した。ハンナは祖父のメイアー・ロスチャイルドの資産を相続しており、夫妻はイギリスでもトップクラスの財産持ちとなった。
ダルメニー卿
「ダルメニー」というのは、スコットランドにある地名である。
経歴
1868年、オックスフォード大在学中の21歳のときに祖父の4代ローズベリー伯爵が没し、爵位を相続して5代ローズベリー伯爵となる。
5代ローズベリー伯爵は自由党に属し、1885年から内閣に入閣、建設長官、外務大臣などを歴任した。5代ローズベリー伯爵が外務大臣を務めていた時期には日清戦争が起きている。戦後、ロシア・ドイツ・フランスが日本へ対し三国干渉を行ったが、伯爵はこれに連座することを拒否して中立を貫いた。1894年から1895年にかけては首相を務めたが、アイルランドの統治をめぐる対立から総辞職した。
競馬との関わり
妻ハンナの父、ロスチャイルド男爵は競馬の愛好者だった。1871年には男爵の馬が1000ギニー、オークス、ダービー、セントレジャーを制している(この時の勝ち馬の名前は「ハンナ(Hannah)」という。)。男爵は一人娘ハンナの結婚にあたり、バッキンガムシャーにある館(Mentmore Towers)を譲った。この館には牧場(Mentmore stud)が備わっていた。
のちに5代ローズベリー伯爵は、この牧場の近くに新しい牧場をつくり、「クラフトン牧場」(Crafton Stud)と名づけた。
5代伯爵の主な生産馬・所有馬には、1894年のダービー馬ラダス(Ladas)、1895年のダービー馬サーヴィスト(Sir Visto)、1905年のダービー馬キケロ(Cicero)などがいる。とくに、サーヴィストでダービーを勝った1895年には現役首相だった。
自宅はエプソムにあったという。
主な所有馬
歴代
- 13 - 1819-1861 en:Archibald Montgomerie, 13th Earl of Eglinton