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2018年11月18日 (日) 15:52時点における版
歴史的背景
イングランド前史
5世紀初め頃、ゲルマン民族の大移動により古代ローマが衰退してブリタンニアを放棄すると[注 1]、まもなくブリテン島にはヨーロッパ大陸北部からゲルマン系諸族が侵入した[8][注 2]。侵掠者はアンゲルン半島からきたというアングル人、ドイツ北部のザクセン[注 3]からはザクセン人(サクソン人)、デンマークのユトランド半島[注 4]から来たジュート人に代表される「蛮族」であったという[8][11][注 5]。
彼らはアングロ・サクソン人と総称されるようになり、ブリテン島にいたケルト系のブリトン人やピクト人を駆逐して新たな征服者となった[13]。アングロ・サクソン人は数世紀をかけていくつかの王国に収斂していき、七王国時代と呼ばれる割拠時代を迎えた。
ヴァイキングの略奪活動
かつては穏健な交易者としてヨーロッパに知られていたスカンジナビアの人々が、9世紀頃からおよそ250年の間、いわゆるヴァイキングとしてヨーロッパ各地を荒らし始めた理由や経緯については諸説ある。いずれにせよ、ローマが衰えて諸王国は海軍力を喪失して久しく、諸国は海伝いに移動するヴァイキングを食い止める術を持たなかった。ヴァイキングは、ヨーロッパ東方ではロシアを横切って黒海に至り、西方ではグリーンランドを経てアメリカ大陸にまで達した。そして南方では、イギリスやフランスの沿岸部を襲い、さらに地中海へ侵入してイタリアに到達している。
古典的な通説では、当時のスカンジナビアでは人口が増えすぎて土地が足りなくなっていたというのが原因だとされている。現代の歴史家はこうした考え方に疑問を呈し、少なくとも初期のヴァイキングたちは略奪をしてすぐ引き上げ、移住をしていないことを指摘している。スカンジナビアで凶作と飢饉が重なったという説もある。初めにヴァイキングの犠牲者となったキリスト教聖職者たちは、デーン人が宗教的な情熱に突き動かされてキリスト教徒に復讐に来たのだと宣伝した。8世紀の後半にフランスのカール大帝が北方へ遠征してドイツの非キリスト教徒に改宗しなければ殺すと脅し(ザクセン戦争)、逃げたザクセン人がデーン人へ助けを求めた結果、デーン人がキリスト教の修道院を襲うようになったと考えたのである。しかし実際には初期のヴァイキングはデーン人というよりはノルウェー人だった。
ヴァイキングとしてヨーロッパを脅かすようになるより以前から、スカンジナビアの民は商人としてヨーロッパ各地で知られていた。
ており、
ヴァイキングのイングランド侵入
脚注
注釈
- ↑ 西ゴート族のアラリック1世がローマ市に攻め込んで略奪した410年に、西ローマ皇帝ホノリウスは、ブリタンニアの都市はこれより後は自分で自分の身を護るように布告を行った[1]。これをもってローマがブリタンニアを手放したとみなすのが通説である[2][3]。ただし、実際にローマがいつ頃どのように去っていったのかについては史料に欠きわかっていない[4][5]。この布告のあとも、ブリタンニアの民が外敵の侵入のためにローマに庇護を請うと、ローマは2度に渡って軍事介入を行った[6]引用エラー: 無効な
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タグです。 名前 (name 属性) が無効です (数が多すぎる、など)。しかし428年か449年に3度めの援助を求めたときにはローマに断られたという[2][7]。以後、ブリタンニアはアングロ・サクソン人の襲来に抗えなくなる[2]。 - ↑ 『イングランド教会史』や『アングロサクソン年代記』による伝説的な挿話によれば、北方のピクト人の侵入を退けるための援軍をローマに断られたブリタンニアの民は、アングル人・サクソン人・ジュート人を傭兵とするためデンマークを訪れ、招聘に成功したという[2][9]。こうして449年にヘンギストとホルサというゲルマン人の兄弟が戦士を率いてブリタンニアに赴き、約束通りピクト人を打ち破った。がしかし彼らはそのあとブリタンニアの民を裏切って、侵略者となったという引用エラー: 無効な
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タグです。 名前 (name 属性) が無効です (数が多すぎる、など)。この兄弟はのちの七王国のひとつ、ケント王国の建国者とみなされている[10]。ただしこのエピソードが何らかの史実を反映しているとはいえ、そのまま史実であるとは考えられていない[9]。 - ↑ ドイツ語では「ザクセン(Sachsen)」、英語では「サクソニー(Saxony)」
- ↑ ドイツ語では「ユトラント(Jütland)」、英語では「ジャトランド(Jutland)」
- ↑ この時代は資料が極めて乏しく暗黒時代と呼ばれる。ブリタンニアへの異民族の来寇を伝えるほとんど唯一の史料がベーダ(672年or673年 - 735年)による『イングランド教会史』(731年成立)である[8]。「アングル人」「サクソン人」「ジュート人」と呼ばれた人々の原住地域を伝えているのも同書であり、長らくその記述が受け入れられてきた[8][12]。現代の言語学や考古学の研究からは、『イングランド教会史』の記述は大雑把には妥当であるが、必ずしも正確ではない可能性が指摘されている[11][8][12]。考古学的には「ジュート人」はライン川中流部のラインラントにルーツがありそうだということ、言語学的にはこれら3民族とオランダのフリージア人との関係が示唆されている[8]。ほかにもフランク人やフリースラントのフリース人らも混在していたとも考えられている[11]。
出典
- ↑ 『オックスフォード ブリテン諸島の歴史2 ポスト・ローマ』p11
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 『世界歴史選書 〈民族起源〉の精神史 ブルターニュとフランス近代』p16-17
- ↑ 『世界歴史大系 イギリス史 1 先史~中世』p39
- ↑ 『古代のイギリス』p108-109
- ↑ 『イギリス史1』p35
- ↑ 『イングランド王国前史 アングロサクソン七王国物語』p13
- ↑ 7.0 7.1 『イングランド王国前史 アングロサクソン七王国物語』p1-2
- ↑ 8.0 8.1 8.2 8.3 8.4 8.5 『全訳世界の歴史教科書シリーズ2 イギリスII その人々の歴史』p5-6
- ↑ 9.0 9.1 『イングランド王国前史 アングロサクソン七王国物語』p1-4,p14-15
- ↑ 『イギリス中世史 大陸国家から島国国家へ』p24-25
- ↑ 11.0 11.1 11.2 『世界歴史大系 イギリス史 1 先史~中世』p72-73
- ↑ 12.0 12.1 『イギリス中世史 大陸国家から島国国家へ』p22-23
- ↑ 『イングランド王国前史 アングロサクソン七王国物語』p3-4
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洋書
和書
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- トマス・チャールズ=エドワーズ;鶴島博和監修、常見信代監訳 『オックスフォード ブリテン諸島の歴史2 ポスト・ローマ』、慶應義塾大学出版会、2010年。ISBN 978-4-7664-1642-8
- ウェンディ・デイヴィス;鶴島博和監修監訳 『オックスフォード ブリテン諸島の歴史3 ヴァイキングからノルマン人へ』、慶應義塾大学出版会、2015年。ISBN 978-4-7664-1643-5
- 富沢霊岸 『イギリス中世史 大陸国家から島国国家へ』、ミネルヴァ書房、1988年、1996年(6刷)。ISBN 4-623-01867-9
- 桜井俊彰 『イングランド王国前史 アングロサクソン七王国物語』、吉川弘文館、2010年。ISBN 978-4-642-05708-0
- R.J. Cootes;今井宏・朝倉文市訳 『全訳世界の歴史教科書シリーズ2 イギリスII その人々の歴史』、帝国書院、1981年。
- 青山吉信編 『世界歴史大系 イギリス史 1 先史~中世』、山川出版社、1991年、2006年(5刷)。ISBN 4-634-46010-6
- 指明博 『増補新版 図説 イギリスの歴史』、河出書房新社、2002年、2015年(増補初版)。ISBN 978-4-309-76234-0
- 原聖 『世界歴史選書 〈民族起源〉の精神史 ブルターニュとフランス近代』、岩波書店、2003年。ISBN4-00-026847-3
- プルーデンス・ジョーンズ、ナイジェル・ペニック;山中朝晶訳 『ヨーロッパ異教史』、東京書籍、2005年。ISBN 4-487-79946-5
- エルンスト・ゴンブリッチ;中山典夫訳 『若い読者のための世界史 原始から現代まで』、中央公論美術出版、2004年、2005年(4版)。ISBN 4-8055-0476-5
- ピーター・サルウェイ;南川高志訳・解説 『古代のイギリス』、岩波書店、2005年。ISBN 4-00-026885-6
- 君塚直隆 中公新書『物語 イギリスの歴史(上)』、中央公論新社、2015年、2016年(5版)。ISBN 978-4-12-102318-6
- John Haywood;村田綾子訳・伊藤盡監訳 『図説 ヴァイキング時代百科事典』、柊風舎、2017年。ISBN 978-4-86498-042-5