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イタリアで6年間種牡馬として供用されたが、1947年の供用シーズンのあと、ニコロデラルカはイギリスへ売却された。したがって、上述の牝馬2頭の活躍でイタリアのリーディングサイアーになった1948年にはもうニコロデラルカはイギリスへ売却された後だったのである。イギリスでの代表産駒は2歳牝馬チャンピオンになった'''ビービーグランデ'''('''[[Bebe Grande]]''')だが、あまり人気が出なかったためにフランスへリースに出された。その2年後にニコロデラルカはフランスで死んだ<ref name="TH_HO"/><ref>『サラブレッドの世界』p335</ref>。 | イタリアで6年間種牡馬として供用されたが、1947年の供用シーズンのあと、ニコロデラルカはイギリスへ売却された。したがって、上述の牝馬2頭の活躍でイタリアのリーディングサイアーになった1948年にはもうニコロデラルカはイギリスへ売却された後だったのである。イギリスでの代表産駒は2歳牝馬チャンピオンになった'''ビービーグランデ'''('''[[Bebe Grande]]''')だが、あまり人気が出なかったためにフランスへリースに出された。その2年後にニコロデラルカはフランスで死んだ<ref name="TH_HO"/><ref>『サラブレッドの世界』p335</ref>。 | ||
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+ | ==主な父系子孫== | ||
+ | <small>*'''太字'''は本項で説明している馬。</small> | ||
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+ | |'''[[Niccolo Dell'Arca]]''' 牡馬 1938生 | ||
+ | :||'''Astolfina''' 牝馬 1945生 伊1000ギニー、伊2000ギニー、伊オークス | ||
+ | :||'''Trevisana''' 牝馬 1945生 伊セントレジャー | ||
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+ | :|||Vettore 牡馬 1958生 | ||
+ | :||||Juan Manuel 牡馬 1968生 [[オノール大賞]] | ||
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+ | :|||Hustle 騙馬 1955生 アメリカの障害戦で20勝 | ||
+ | :||'''Bebe Grande''' 牝馬 1950生 イギリス2歳牝馬チャンピオン | ||
+ | :||Nicholas Nickleby 1951生 ロイヤルハントカップ | ||
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2015年5月10日 (日) 21:01時点における版
ニコロデラルカ[1](Niccolo Dell'Arca)はイタリア産馬。競走馬としてはイタリアの三冠馬となり、種牡馬としてもイタリアのクラシックウィナーを輩出し、同国のリーディングサイアーとなった。ニコロデラルカはネアルコの半弟でもあり、後世へは特に牝馬の父として影響力を残した。同じハリーオン系の中ではクラナックと同じ年生まれである[2]。
Niccolo Dell'Arca | ハリーオン系 | |||
性 | 牡 | Coronach 1923 栗毛 イギリス |
Hurry On | Marcovil |
毛色 | 鹿毛 | Toute Suite | ||
生年 | 1938 | Wet Kiss | Tredennis | |
生産地 | イタリア | Soligena | ||
生産者 | フェデリコ・テシオ | Nogara 1928 鹿毛 イタリア |
Havresac | Rabelais |
馬主 | フェデリコ・テシオ | Hors Concours | ||
調教師 | Catnip | Spearmint | ||
成績等 | 15戦12勝 | Sibola F-No.9-e |
伊3歳チャンピオン 伊リーディングサイアー(1948-1949)
主な勝鞍 伊2000ギニー、伊ダービー、伊セントレジャー、ドイツ賞、イタリア大賞、ミラノ大賞、伊グラン・クリテリウム、エマヌエーレ・フィリベルト賞
ニコロデラルカの母ノガラ(Nogara)は現役時代14勝、イタリアの1000ギニーと2000ギニーを勝った名競走馬だった。ノガラが1935年に産んだのがネアルコで、3歳(1937年)から7戦7勝してただならぬ活躍をした。翌1938年に生まれてきたのがニコロデラルカで、この馬が競走年齢に達した1940年には、もうネアルコは無敗のまま引退して種牡馬になっていたが、 まだネアルコの産駒が競走馬としてデビューする前だった[3]。ニコロデラルカはネアルコ同様、イタリアのグランクリテリウムを勝つなど2歳戦から華々しい活躍をし、3歳になると、イタリアクラシック三冠をはじめ、イタリア、ドイツの大レースに勝った[4][5]。
生産者兼馬主のテシオは、ネアルコは現役競走馬のうちに売却したが、ニコロデラルカは手元に残し、ドルメロ牧場で種牡馬とした。イタリアでの代表産駒は1945年生まれの牝馬2頭で、アストルフィーナ(Astolfina)はイタリアの1000ギニー、2000ギニー、オークスに勝ち、トレヴィサナ(Trevisana)はイタリアのグランクリテリウム、セントレジャーやミラノ大賞典、ジョッキークラブ大賞典、イタリア大賞典に勝った。これらの活躍でニコロデラルカは1948年・1949年にイタリアのリーディングサイアーとなった。牡馬ではイタリアダービー・セントレジャーの二冠を制したドーミエ(Daumier)が出たが、ドーミエは引退後アメリカに種牡馬として売られた。ほかには、初年度産駒である1943年生まれのブオナミカ(Buonamica)という牝馬が、後に三冠馬ボッティチェリ(Botticelli)や二冠馬ブラック(Braque)を出しているのが代表的である[4][6]。
イタリアで6年間種牡馬として供用されたが、1947年の供用シーズンのあと、ニコロデラルカはイギリスへ売却された。したがって、上述の牝馬2頭の活躍でイタリアのリーディングサイアーになった1948年にはもうニコロデラルカはイギリスへ売却された後だったのである。イギリスでの代表産駒は2歳牝馬チャンピオンになったビービーグランデ(Bebe Grande)だが、あまり人気が出なかったためにフランスへリースに出された。その2年後にニコロデラルカはフランスで死んだ[4][7]。
主な父系子孫
*太字は本項で説明している馬。 *「伊」はイタリアを示す。 |Niccolo Dell'Arca 牡馬 1938生
- ||Astolfina 牝馬 1945生 伊1000ギニー、伊2000ギニー、伊オークス
- ||Trevisana 牝馬 1945生 伊セントレジャー
- ||Delaroche 牡馬 1947生
- |||Vettore 牡馬 1958生
- ||||Juan Manuel 牡馬 1968生 オノール大賞
- ||Daumier 牡馬 1948生 伊ダービー、伊ジョッキークラブ大賞
- |||Hustle 騙馬 1955生 アメリカの障害戦で20勝
- ||Bebe Grande 牝馬 1950生 イギリス2歳牝馬チャンピオン
- ||Nicholas Nickleby 1951生 ロイヤルハントカップ
- ||Daemon 牡馬 1952生 チリチャンピオンサイアー
- ||Come to Daddy 騙馬 1955生 ロシア皇太子ハンデキャップ
- ||Nick La Rocca 牡馬 1949生 ドンカスターカップ