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− | + | *誕生 明治5年7月28日(1872年8月31日 ※グレゴリオ暦) | |
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+ | *正五位 勲三等旭日中綬章 勲四等瑞宝章受章 | ||
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+ | *[[東京競馬会]] 理事 | ||
+ | *[[東京競馬倶楽部]] 会長 理事 | ||
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+ | *農商務省 馬政委員 | ||
+ | *岐阜県海津郡 郡会議員・参事会員 | ||
+ | *衆議院議員・貴族院議員 | ||
+ | *陸軍騎兵大尉 軍馬補充部長 中央馬廠戸山厩舎長 馬匹購買委員 軍法会議判士 | ||
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+ | *尾張土管株式会社 社長 | ||
+ | *株式会社七十六銀行 取締役 | ||
+ | *株式会社全国肥料取次所 取締役 | ||
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+ | |明治||{{0}}5||1872||07.28||0||誕生。岐阜県海津郡東江村大和田の豪農・安田家の長男。家には3頭の馬がいた。 | ||
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+ | 安田伊左衛門の生家は、現在の岐阜県海津市海津町大和田、当時の岐阜県海津郡東江村大字大和田である。家は地元の豪農で、伊左衛門はその長男だった。 | ||
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+ | 海津郡というのは、東には木曽川・長良川が並走し、3,4km西には揖斐川が流れていて、両川に挟まれた三角州に位置している。その中央には大江川が蛇行してながれており、土地は海抜0メートルか、場所によっては海抜-1メートルのところもある。みるからに洪水のメッカだ。『岐阜県治水史』で堤防が決壊した洪水の記録をみると、伊左衛門が生まれた明治5年(1872年)以降、1874年、1876年、1877年、1878年、1879年、1880年、1881年、1882年、1884年、1885年、1888年・・・と、洪水が発生しない年のほうがレアである。 | ||
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+ | 中学校の社会科で、「輪中」というのを習ったのをご記憶だろうか。川が氾濫しても、住宅地だけは守るために、集落の周りを堤防で取り囲むやつだ。(最近、国土地理院地図が電子化されたのだが、そのときに堤防の表記基準が「3m」から「5m」に改訂された。その結果、日本中で地図から堤防が消え、輪中も表示されなくなってしまった。) | ||
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+ | 明治29年(1896年)7月20日と9月8日には、折からの大雨によって長良川・木曽川・揖斐川がいずれも氾濫し大洪水となった。堤防は2000箇所以上で決壊し、輪中の堤も破れて浸水、あわせて死者207名、流失家屋4657、建物の崩壊9400戸の大被害を齎した。 | ||
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+ | ちょうどその前年に、伊左衛門は兵役を終えて陸軍を除隊、故郷に戻り、農家を継いだところだった。青年期の伊左衛門は、故郷の洪水対策に取り組んだ。私財を投じて耕地整理を行い、道路を碁盤の目に改めた。木曽川の改修にあたっては、土地の収容に反対する地元の農家がいた。伊左衛門は、土地収用法の不備を訴え、私財を投じて政府を提訴、12回に及ぶ交渉の末、政府に主張を認めさせた。これにより農家と政府とあいだで示談が成立した。この時得られた保証金を原資に、集落の土地全体に5mの盛り土を行い、住宅地が浸水しないようにした。 | ||
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2020年10月26日 (月) 18:08時点における最新版
- 安田伊左衛門
- やすだ いざえもん
プロフィール
生没年
- 誕生 明治5年7月28日(1872年8月31日 ※グレゴリオ暦)
- ※明治6年に太陽暦に切り替わる前なので、和暦(旧暦)と西暦で日付が異なる。
- 死没 昭和33年5月18日(1958年5月18日)
賞罰、肩書
- 正五位 勲三等旭日中綬章 勲四等瑞宝章受章
- 農商務省 馬政委員
- 岐阜県海津郡 郡会議員・参事会員
- 衆議院議員・貴族院議員
- 陸軍騎兵大尉 軍馬補充部長 中央馬廠戸山厩舎長 馬匹購買委員 軍法会議判士
- 尾張土管株式会社 社長
- 株式会社七十六銀行 取締役
- 株式会社全国肥料取次所 取締役
年表
明治 | 5 | 1872 | 07.28 | 0 | 誕生。岐阜県海津郡東江村大和田の豪農・安田家の長男。家には3頭の馬がいた。 |
〃 | 7 | 1874 | 頃 | 2 | 2歳の頃から馬を見て育つ。 |
〃 | 14 | 1881 | 頃 | 9 | 9歳の頃から乗馬をする。 |
〃 | 19 | 1886 | 頃 | 14 | 14歳のときに桑名の祭礼競馬で落馬し、腕と足に大怪我。 |
〃 | 18 | 帝国大学(現・東京大学)農科大学入学。酒匂常明に学ぶ。陸軍乗馬学校に通う。 | |||
〃 | 26 | 1893 | 21 | 帝国大学(現・東京大学)農科大学卒業。帰省の土産に馬3頭。 | |
〃 | 26 | 〃 | 21 | 陸軍に志願。騎兵第三連隊に配属。師団長は桂太郎中将。 | |
〃 | 28 | 1895 | 23 | 陸軍騎兵少尉に任命。志願兵としては出世頭。 | |
〃 | 28 | 1895 | 23 | 陸軍を除隊。正八位叙任。 | |
〃 | 28 | 1895 | 23 | 故郷の岐阜に戻り農業を営む。 | |
〃 | 30 | 1897 | 25 | 岐阜県海津郡の郡会議員・参事会員に当選。 | |
〃 | 31 | 1898 | 26 | 三上定子と結婚。 | |
〃 | 32 | 1898 | 27 | 尾張土管株式会社の社長に就任。 | |
〃 | 33 | 1899 | 28 | 陸軍騎兵中尉に任命。 | |
〃 | 34 | 1900 | 29 | 株式会社第七十六銀行(現・大垣共立銀行の母体)取締役に就任。 | |
〃 | 35 | 1901 | 30 | 株式会社全国肥料取次所取締役に就任。社長が加納久宜子爵。 | |
〃 | 35 | 〃 | 〃 | 私財を投じ、木曽川の大改修と耕地整理事業に着手。 |
- 明治 5年(1872)
木曽川河口の氾濫地域の農家の出
安田伊左衛門の生家は、現在の岐阜県海津市海津町大和田、当時の岐阜県海津郡東江村大字大和田である。家は地元の豪農で、伊左衛門はその長男だった。
海津郡というのは、東には木曽川・長良川が並走し、3,4km西には揖斐川が流れていて、両川に挟まれた三角州に位置している。その中央には大江川が蛇行してながれており、土地は海抜0メートルか、場所によっては海抜-1メートルのところもある。みるからに洪水のメッカだ。『岐阜県治水史』で堤防が決壊した洪水の記録をみると、伊左衛門が生まれた明治5年(1872年)以降、1874年、1876年、1877年、1878年、1879年、1880年、1881年、1882年、1884年、1885年、1888年・・・と、洪水が発生しない年のほうがレアである。
中学校の社会科で、「輪中」というのを習ったのをご記憶だろうか。川が氾濫しても、住宅地だけは守るために、集落の周りを堤防で取り囲むやつだ。(最近、国土地理院地図が電子化されたのだが、そのときに堤防の表記基準が「3m」から「5m」に改訂された。その結果、日本中で地図から堤防が消え、輪中も表示されなくなってしまった。)
明治29年(1896年)7月20日と9月8日には、折からの大雨によって長良川・木曽川・揖斐川がいずれも氾濫し大洪水となった。堤防は2000箇所以上で決壊し、輪中の堤も破れて浸水、あわせて死者207名、流失家屋4657、建物の崩壊9400戸の大被害を齎した。
ちょうどその前年に、伊左衛門は兵役を終えて陸軍を除隊、故郷に戻り、農家を継いだところだった。青年期の伊左衛門は、故郷の洪水対策に取り組んだ。私財を投じて耕地整理を行い、道路を碁盤の目に改めた。木曽川の改修にあたっては、土地の収容に反対する地元の農家がいた。伊左衛門は、土地収用法の不備を訴え、私財を投じて政府を提訴、12回に及ぶ交渉の末、政府に主張を認めさせた。これにより農家と政府とあいだで示談が成立した。この時得られた保証金を原資に、集落の土地全体に5mの盛り土を行い、住宅地が浸水しないようにした。