「レンヌ伯」の版間の差分
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レンヌ伯位は完全にブルターニュ公位に統合され、やがてはフランス王位のもとに束ねられた。 | レンヌ伯位は完全にブルターニュ公位に統合され、やがてはフランス王位のもとに束ねられた。 | ||
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− | [[レンヌ]]は[[ブルターニュ]]地方を代表する都市の一つである<ref name="ちきゅフランス-318"/>。1970年代に成立した現代フランスの地域区分のもとでは、[[ブルターニュ地域圏]]の首府となっている<ref name="山川フランス史1-29"/>。ただしブルターニュ地方全体から見ると偏った位置にあるため、ブルターニュの中心地とは言い難い<ref name="山川フランス史1-29"/>。歴史的には長く[[ブルターニュ王国]]や[[ブルターニュ公国]]の領内にあったが、8世紀頃には[[フランク王国]]の支配を受けた時期もある<ref name="山川フランス史1-159"/>。起源は古く、紀元前の[[アルモリカ王国]]の頃から川の合流地に町が拓かれていたことがわかっている。 | + | [[レンヌ]]は[[ブルターニュ]]地方を代表する都市の一つである<ref name="ちきゅフランス-318"/>。1970年代に成立した現代フランスの地域区分のもとでは、[[ブルターニュ地域圏]]の首府となっている<ref name="山川フランス史1-29"/>。ただしブルターニュ地方全体から見ると偏った位置にあるため、ブルターニュの中心地とは言い難い<ref name="山川フランス史1-29"/>。歴史的には長く[[ブルターニュ王国]]や[[ブルターニュ公国]]の領内にあったが、8世紀頃には[[フランク王国]]の支配を受けた時期もある<ref name="山川フランス史1-159"/>。起源は古く、紀元前の[[アルモリカ王国]]の頃から川の合流地に町が拓かれていたことがわかっている。[[ローマ帝国]]時代には、レンヌはフランク人の[[キウィタス]](都市)と認められ、その支配者は「[[伯|都市伯]]」と呼ばれた(ラテン語の「comes([[伯]])」は、もともとは行政の長を意味する語)。これがレンヌ伯位のもとになった。 |
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+ | 3世紀から4世紀にかけて、この一帯には[[ブルトン人]]が侵入し、いくつもの国がつくられた。これらは次第に統合されていき、6世紀から7世紀にかけて[[ブルターニュ]](「ブルトン人の土地」の意)と呼ばれる地域となった。何世紀もの間、ブルトン人の国([[ブルターニュ公国]])とフランク人([[フランク王国]])との間で領地の奪い合いが行われ、両勢力の境い目に位置するレンヌはしばしば支配者が変わっていった。やがてブルターニュが優勢となり、[[フランク王国]]から[[ブルターニュ王国]]として認められるまでに至った。ブルターニュ王国のなかでも、レンヌ伯は北ブルターニュの有力者となっていった。 | ||
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+ | しかし9世紀頃からヴァイキングの侵入が激しくなり、ブルターニュはしばしば分断された。ブルターニュ王位も空位となることがあり、ブルターニュは北のレンヌ伯と南の[[ナント伯]]・[[ヴァンヌ伯]]により事実上二分された。10世紀にはナント伯家によって[[ブルターニュ公国]]が再興され、ナント伯家がブルターニュ公を名乗るようになった。しかしブルターニュの公位をめぐってレンヌ伯家とナント伯家のあいだで争いが続き、10世紀の終わり頃にレンヌ伯[[コナン1世 (ブルターニュ公)|コナン1世]]がナント伯家を滅ぼして[[ブルターニュ公]]位を奪った。以後、基本的にレンヌ伯が[[ブルターニュ公]]となった。1203年には、レンヌ伯領はブルターニュ公領に組み込まれ、伯位そのものが廃された。 | ||
== 歴代のレンヌ伯 == | == 歴代のレンヌ伯 == |
2018年4月18日 (水) 01:03時点における版
en:Count of Rennes(oldid=804493997)より一部転記
レンヌ伯(れんぬはく、フランス語: Comté de Rennes)は、
レンヌ伯位は完全にブルターニュ公位に統合され、やがてはフランス王位のもとに束ねられた。
ブルターニュの代表都市レンヌ
レンヌはブルターニュ地方を代表する都市の一つである[1]。1970年代に成立した現代フランスの地域区分のもとでは、ブルターニュ地域圏の首府となっている[2]。ただしブルターニュ地方全体から見ると偏った位置にあるため、ブルターニュの中心地とは言い難い[2]。歴史的には長くブルターニュ王国やブルターニュ公国の領内にあったが、8世紀頃にはフランク王国の支配を受けた時期もある[3]。起源は古く、紀元前のアルモリカ王国の頃から川の合流地に町が拓かれていたことがわかっている。ローマ帝国時代には、レンヌはフランク人のキウィタス(都市)と認められ、その支配者は「都市伯」と呼ばれた(ラテン語の「comes(伯)」は、もともとは行政の長を意味する語)。これがレンヌ伯位のもとになった。
3世紀から4世紀にかけて、この一帯にはブルトン人が侵入し、いくつもの国がつくられた。これらは次第に統合されていき、6世紀から7世紀にかけてブルターニュ(「ブルトン人の土地」の意)と呼ばれる地域となった。何世紀もの間、ブルトン人の国(ブルターニュ公国)とフランク人(フランク王国)との間で領地の奪い合いが行われ、両勢力の境い目に位置するレンヌはしばしば支配者が変わっていった。やがてブルターニュが優勢となり、フランク王国からブルターニュ王国として認められるまでに至った。ブルターニュ王国のなかでも、レンヌ伯は北ブルターニュの有力者となっていった。
しかし9世紀頃からヴァイキングの侵入が激しくなり、ブルターニュはしばしば分断された。ブルターニュ王位も空位となることがあり、ブルターニュは北のレンヌ伯と南のナント伯・ヴァンヌ伯により事実上二分された。10世紀にはナント伯家によってブルターニュ公国が再興され、ナント伯家がブルターニュ公を名乗るようになった。しかしブルターニュの公位をめぐってレンヌ伯家とナント伯家のあいだで争いが続き、10世紀の終わり頃にレンヌ伯コナン1世がナント伯家を滅ぼしてブルターニュ公位を奪った。以後、基本的にレンヌ伯がブルターニュ公となった。1203年には、レンヌ伯領はブルターニュ公領に組み込まれ、伯位そのものが廃された。
歴代のレンヌ伯
fr:Liste des comtes de Rennes(oldid=138505742)より一部転記
から | まで | 名前 | フランス語 | ブルトン語 | 英語 | 備考 |
? | 820 | Rorgon | Rorgon I | |||
? | 876 | グルヴァント | Gurwant | Gurwant | Gurwant | Wrhwantなどの異表記もある。ラテン語表記ではVurfandus。 |
876 | 888 | ユディカエル | Judicaël | Yezekael | Judicael | |
888 | 896 | ベランジェ2世 | Bérenger II | Berengar II | Berengar II | |
896 | 903 | 不明 | ||||
903? | 953? 970? |
ジュエル・ベランジェ | Juhel Bérenger | Yuzhael Berengar | Judicael Berengar | ブルトン人の史料では「Yuzhael(Judicael、ユディカエル)」、フランク人の史料では「Bérenger(ベランジェ)」とされる人物で、便宜上「ユディカエル ベランジェ」のように通称されている。 |
958? 970? |
992 | コナン1世 | Conan I | Konan Iañ | Conan I the Crooked | ユディカエルの子。ブルターニュ公。 |
992 | 1008 | ジョフロワ1世 | Geoffroi I | Jafrez Iañ | Geoffrey I | コナン1世の子。ブルターニュ公。 |
1008 | 1040 | アラン3世 | Alain III | Alan III | Alan III | ジョフロワ1世の子。ブルターニュ公。 |
1040 | 1066 | コナン2世 | Conan II | Conan II | アラン3世の子。ブルターニュ公。 | |
1066 | 1084 | Geoffroy Grenonat | Geoffrey II Grenonat | アラン3世の非嫡出子。 | ||
1066 | 1072 | アヴォワーズ | Havoise | Hawise | コナン2世の姉妹 | |
1082 | 1084 | オエル2世 | Hoël II | Hoel I | アヴォワーズの夫 | |
1084 | 1112 | アラン4世 | Alain IV | Alan II Fergant | オエル2世の子。ブルターニュ公。 | |
1112 | 1148 | コナン3世 | Conan III | Conan III the Fat | アラン4世の子 | |
1148 | 1156 | オエル3世 | Hoël III | Hoel III | ||
1156 | 1158 | Berthe | ||||
1156 1158 |
1166 | Conan IV | Conan IV the Young | |||
1166 | 1181 | Henri II d'Angleterre | Henry Curtmantle | |||
1181 | 1186 | Geoffroy II | Geoffrey II | |||
1166 | 1201 | コンスタンス | Constance | Constance | ||
1196 | 1203 | アルテュール1世 | Arthur I | Arthur |
脚注
注釈
出典
書誌情報
- 世界歴史大系『フランス史1 ―先史~15世紀―』,柴田三千雄・樺山紘一・福井憲彦/編,山川出版社,1995,2005,ISBN 4-634-46090-4
- 地球の歩き方 2018-19 A06『フランス』,ダイヤモンド社,ダイヤモンド・ビッグ社,1985,2017(改訂第33版),ISBN 978-4-478-82122-0