競走馬の特筆性の話

提供: Test Wiki
2016年11月22日 (火) 18:03時点におけるJulyfestival (トーク | 投稿記録)による版 (しろん)

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2014年に、皆様の賛同をいただいてWikipedia:競走馬の特筆性判断の基準と独立記事作成についてのガイドラインを「草案」としました。その際、2015年・1016年を「試行期間」とし、その間の案件をフィードバックしつつ、2017年から「ガイドライン」として運用しましょう、ということにしておりました。で、その2017年が近づいて参りましたので、ここらへんの予備的な議論を始めたいと思います。

  • 2年間の案件のフィードバック
  • 修正などが要るか
  • ガイドラインとしてよいか(一定の拘束力が発生する)

話はここらへんのことになろうかと思います。僭越ですが、この件に関するサブページ(プロジェクト‐ノート:競馬/基準文書に関する意見交換201612)を作成し、そちらでの意見交換を行いたいと思います。

現時点での個人的な考えを言うと、少なくない方の賛同をいただいて草案になったものですし、基本は10年以上前からのPJや関係議論の積み重ねによって形成されたものですので、軽々しく扱うのもいかがなものかと思いつつ、けっこうガッツリ直したほうがいいかなー、とも思っております。

しろん

この文書の議論をする前に、前提を確認しておく必要があります。

  • 「特筆性」という表現に関すること

特筆性」という用語はWikipedia:独立記事作成の目安(ガイドライン)の中で定義されている、ウィキペディア専用の特殊な用語です。世間一般で「このことは特筆に値するよ」という言い方をしますが、それとは別の概念です。

この語はもともと英語版の「notability」の訳語として作られた造語です。独立記事作成の目安に関する議論の中で、私は、「特筆性」という訳語は世間一般の「このことは特筆に値するよ」と混同しがちだから、「notability」の訳語として「WP採項要件」という表現に改めてはどうか、という提案を(冗談混じりで)行ったこともあります。

この「特筆性」は、一般的には(WP:GNG)以下のような条件に合致する場合に「特筆性があると推定される(WP:GNG/P)」ことになります。

これはあくまでも「一般的な目安」であり、特定の分野別の基準を目安とすることもできます。競走馬についてはこの「分野別基準」にあたります。

  • ※「一般的な目安あるいは各分野での特筆性の基準を満たすならば、取り扱う対象は、独立記事として作成、収録するだけの価値を有すると推定される、となります。(WP:N)」とありますから、一般的な目安か、専門分野での目安か、いずれか一方をクリアすればよい、と考えるのがよいでしょう。現状の草案では「Z.その他の特筆性」があり、これが「一般的な目安」に相当しています。
  • 記事の削除との兼ね合い

Wikipedia:削除の方針では「ケース E: 百科事典的でない記事」(WP:DP#E)という規定があります。このうち

  • 百科事典的な記事に成長する見込みのないもの。
  • 百科事典に記載するほどの著名性・特筆性がない記事。

この2つを根拠として、削除依頼が提起されることがしばしば起こります。

この「著名性・特筆性がない」についての解説文書がWikipedia:独立記事作成の目安であり、競走馬については「草案」がそれを担う格好になります。

特に特筆性のガイドラインを満たしていない記事(WP:FAILN)がポイントになります。

そこでは

  • 情報源を探すこと。
  • 調査を依頼すること。
  • 適切な統合先を検討すること。
これらを充分に試みてもダメな場合に、初めて記事の削除を検討すべしとなっております。
  • 記事のあり方、基本的な考え方
  • スタブ・サブスタブが乱造されてしまう。懸念、予防としての対策が必要。
  • サブスタブがあっても困らない

という相反する意見があるようです。

  • 「乱造」という表現の中には「悪いこと」という意味合いが内包されています。もっと中立的には「量産」というべきでしょう。「サブスタブがあっても困らない」派にしてみれば、それが量産されることは「乱造」ではありません。
  • 〔削1〕低質なものは積極的に削除していくべきだ(そうしないとあふれかえる、さらなる乱造の呼び水になる)
  • 〔存1〕あっても困らない。削除しないほうがいい。

正直ここらへんは、どこかの方針文書に則った議論というよりは、その人の基本的なポリシーに由来しているという感じで、平行線なんですよね。

私個人は、実はどちらかというと(最初からずっと)〔存1〕寄りです。

ずっと前の基準づくりの議論で、私は「青信号」(立項の基準)と「赤信号」(削除の基準)は区別するべきだ、と主張しました。それは今も変わっておりません。「Aをクリアすれば立項していいよ」と書いてあっても、じゃあ「Aをクリアしてないから削除だね」と解釈することはできないよ、というのが私の立場です。

ただ、ここは各利用者のポリシーとか、Wikipedia:削除の方針との兼ね合いもあって、「基準をクリアしていないなら特筆性がないのだから削除だ」と導く方もいらっしゃいます。各種文書を照合したり、論理的に導いたり、過去の案件に照らしても、そのように導くことは認められているようで、それを「間違いだ」ということはできません。

私は次のように考えています。

  • 記事がお粗末でも、その馬が「重賞勝ち」をクリアしているなら、真面目に探せば出典はどっかにあるはずだ。なので、当面は記事が酷い状態でも、未発見/未提示の適切な出典があるという前提で、調査と加筆の方向で対処しましょう。
  • ただし暫定的な措置として、統合を検討することは妨げない。リダイレクト化し、当面はそのリダイレクト先に加筆し、適切な水準に達したら分割すればよろしい。
  • その競走馬の「特筆性」を判断するタイミングについては、現役引退時が一つの時期だろうと考えております。もちろん、競走馬としては鳴かず飛ばずだったものが種牡馬として成功する例はあるし、牝馬の場合はなおのことです。だからあくまでも「一つのタイミング」ではあるけれど、唯一のタイミングではない。引退時点で「重賞勝ち」をクリアしていなければ、「どこかに出典は必ずあるはずだ」という前提でコトに当たるのはやめましょう、ということになります。現役期間なんて数年どまりなんだから、その間ぐらい待ってもよかろう、ということです。
  • 逆に早すぎるタイミングでの立項に対しては、ちょっと手段がありません。以前は(その世代のダービーが終わり、新馬戦が始まる)「6月末」を解禁日としてはどうか、と提案したことはあります。


  • それだと、「酷い状態の記事」を乱造されてしまうのではないか、という懸念があることは承知しています。それに対する上手い回答を私は有していません。そういうことは起きるかもしれないし、既に起きているかもしれない。
  • しかしまあ、酷い記事というのは誰が見ても「これはひどいね」とわかるものだし、放っておいてもやたら有害ということもあるまい。
  • もしも「競走馬記事がひどいのばかりだから、ちゃんと取り締まりしろ」という合意/要請があるならば、そっちに舵を切ることは吝かではない。現段階では、そういう意見はあるものの、合意とまでは言えるかどうか。