好き勝手に感想を申し上げます。
- 「やっぱりわかりにくい」と思いました。(Miraburuさんが悪いのではなく、実際にややこしい。)
- 「基本・応用」とか「一般的・主流」などの評価は、しないほうがいいな、と思いました。せいぜい、「長所・短所」ぐらい。
「◯◯方式」など、どういう呼称を用いようと、読者はその名前を知らないので、全然ピンとこない。(インライン方式とかの用語が、一般的でない)
説明も抽象的なのでよくわからない。結局、実例をみないとわからない。
「インライン方式」のショートカットが「INCITE」だったりして、なんか気持ち悪い。
「なに方式」と呼ぶかは棚上げ
解説本文中で、帰属化して情報源についても説明する方式
- 北条本『吾妻鏡』建久3年(壬子)7月20日条には、建久3年(1192年)7月12日に源頼朝は征夷大将軍に任じられたとある。
- 倉上政幹『水産動植物精義』(杉山書店、1925年。pp.293-299「たらばがに」)によれば、タラバガニはヤドカリの一種である。
効果
- メリット
- その場ですべてが示される。
- 読者にとって、根拠が明瞭である。
- 情報が帰属化されており、中立的に書きやすい。
- デメリット
- 長くなる。読みにくく感じるかもしれない。
- あまりにも一般的な事柄を、帰属的に記述すると、あたかも、それが一般的ではない注意を要する事柄であるような印象を与えることがある。(例:「田中によれば、ニューヨークはアメリカの都市である。」)
G
原文
原文
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柳田國男 『日本の民俗学』pp.10-11より
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我邦で最初のフォクロアの学問を唱えた故高木敏雄君が、我々少数の有志者を説いて、一の月刊雑誌を創立せしめたときに、この郷土研究という名称は始めて用いられたのである。
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柳田國男 『日本の民俗学』p.186より
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昭和十二年に、東北大学の法文学部は私を招いて、始めて日本民俗学の講義をさせた。
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※柳田國男著、『日本の民俗学』、中公文庫、中央公論新社。2019年6月刊行。ISBN 978-4122067493
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原文
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柳田國男 『都市と農村』pp.35-36より
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二つの新しい経験が我々を考えさせる。日本人は外国に出ると、単に同じ日本人という理由だけで、親しくもなりまた結合する。それが十人となり二十人と増加して来ると、その中にまた何々県人会などが出来るのである。
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|-
|colspan="2"|※柳田國男著、『都市と農村』、岩波文庫、岩波書店。2017年9月刊行。ISBN 978-4003812211
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|}
G1 基本パターン
基本的には、原文を、大きく意味を変えないように、自分の言葉で要約して利用する(Wikipedia:ガイドブック 著作権に注意)
出典の明記がされていない
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例
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高木敏雄が「郷土研究」なる名称を初めて用いた。[要出典]
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※この要約がいいのかどうかってのはあるけども、ひとまずそれは置いておく。
一括参照方式 General Reference (WP:GENREF)
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執筆に際して参考にした文献を、(記事の最後に)一覧でまとめて示す
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例1
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==本文==
高木敏雄が「郷土研究」なる名称を初めて用いた。
==参考文献==
- 柳田國男、『日本の民俗学』、中公文庫、2019年6月刊行。
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本文の読みやすさ
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◎
|
参照性の高さ
|
×
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検証の容易さ
|
×
|
その他
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- 本文がすっきりしていて読みやすい。
- 記事が長くなったり、複数の文献を採用すると、どの情報がどの文献のどこを典拠にして書かれたのかが不明瞭になる。また、著者自身の考えで書かれた部分が判別できない。
- 検証しようとするときに、本を一冊まるごと読まなければいけなくなる。
|
ウィキペディアでは、記事の三大方針として「検証可能性」を掲げています。一括参照方式ではこれを十分に満たすことができませんから、ウィキペディアにはあまり適していません。
- 単著や、紙で印刷される文献のように一度発表されたあとは不変の文章と違い、ウィキペディアでは絶えず様々な利用者が改変をくり返すため、どの文章がどの情報源のどこに基づいているのかがわからなくなる。
- → {{参照方法}}、{{ページ番号}}
そのため、以下の個別参照法(Inline Citation)が推奨されます。この方法は、記述毎に、その典拠を示す方法です。
話法形式 本文中での出典言及 (WP:INTEXT)
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典拠に関する情報を、記事本文に組み込む
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例4
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柳田國男の『日本の民俗学』(中公文庫、2019年6月刊行、pp.10-11)によれば、高木敏雄が「郷土研究」なる名称を初めて用いた。
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|
本文の読みやすさ
|
×
|
参照性の高さ
|
◎
|
検証の容易さ
|
◎
|
その他
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- 帰属化されており、中立的な観点が実現しやすい。
- 本文はとても読みにくくなる。
- その記述が何を典拠に書かれたのか、参照性が高い。
- 読者にとって、根拠が明瞭である。
|
話法形式は、さらに「直接話法」「間接話法」「パラフレーズ」などに細分化できます。→ホニャララ参照
see Wikipedia:中立的な観点
- 文章が肥大化しやすく、あまり重要でない情報が、長々と記述されることで、あたかも重要な情報であるような印象を与えることがある。(適当な重み付け)
- あまりにも一般的な事柄を、帰属的に記述すると、あたかも、それが一般的ではない注意を要する事柄であるような印象を与えることがある。(例:「田中によれば、ニューヨークはアメリカの都市である。」…田中だけがそう主張しているかのような印象をもたらす。)#本文中での出典言及参照。
ホニャララ方式 (WP: )
|
典拠に関する情報を、直後にカッコ書きで示す
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例2
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==本文==
高木敏雄が「郷土研究」なる名称を初めて用いた。(柳田國男、『日本の民俗学』、中公文庫、2019年6月刊行。pp.10-11)
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本文の読みやすさ
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△
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参照性の高さ
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◎
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検証の容易さ
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◎
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その他
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- 本文は読みにくくなる。
- その記述が何を典拠に書かれたのか、参照性が高い。
- 読者は、本文と情報源の両方が、その場でひと目でわかる。
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ホニャララ方式改 ホニャララ方式の発展型 (WP: )
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典拠に関する情報を、注釈化し、別掲する
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例3
|
==本文==
高木敏雄が「郷土研究」なる名称を初めて用いた[1]。
==注釈==
- 1.柳田國男、『日本の民俗学』、中公文庫、2019年6月刊行。pp.10-11
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本文の読みやすさ
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◯
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参照性の高さ
|
◎
|
検証の容易さ
|
◯
|
その他
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- 本文がすっきりしていて読みやすい。
- その記述が何を典拠に書かれたのか、参照性が高い。
- 読者は、情報源を知るために、別掲場所(注釈)に移動しなければならない。(ポップアップ機能を使うことで緩和される。)
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個別参照法は、どの方式を採るにせよ、いずれも「読みやすさ」をいくらか損なうでしょう。ですが「検証可能性」という大方針を実現するためには必要なことと割り切って下さい。
G2 文献情報を略記する
典拠に関する情報を、一定の規則に基づき略記する方法があります。この場合、詳しい情報は別掲します。
いずれも記述をスリムにすることができますが、その反面、ぱっと見ただけではわかりにくくなります。
出典に関する情報を、直後に示す
|
例2
|
==本文==
高木敏雄が「郷土研究」なる名称を初めて用いた。(柳田2019、pp.10-11)
==参考文献==
- 柳田國男、『日本の民俗学』、中公文庫、2019年6月刊行。
|
|
- 著者名「柳田」と、刊行年「2019」を組み合わせて文献を特定する。
- 本文中にすべての典拠情報を書き連ねるのに較べると、本文は読みやすくなる。
- その記述が何を典拠に書かれたのか、参照性が高い。
- 読者は、略記された情報をもとに、参考文献のなかから目指す情報源を探す必要がある。
|
出典に関する情報を、注釈化し、別掲する
|
例3
|
==本文==
高木敏雄が「郷土研究」なる名称を初めて用いた[1]。
==注釈==
==参考文献==
- 柳田國男、『日本の民俗学』、中公文庫、2019年6月刊行。
|
|
- 本文がすっきりしていて読みやすい。
- その記述が何を典拠に書かれたのか、参照性が高い。
- 同じ文献を何度も参照する場合などに、記述を簡略化できる。
- 読者は情報源を知るために、(1)注釈で略記を確認し、(2)参考文献一覧から探し出す、という風に2段階に移動しなければならない。(ポップアップ機能を使うことで手間は緩和される。)
- 同一文献の様々な箇所を何度も参照するような場合に、注釈をスリムにできる。反面、読者は「柳田2019」ではまだ何のことだかわからない。
|
出典に関する情報を、記事本文に組み込む
|
例4
|
==本文==
柳田(2019)10-11頁によれば、高木敏雄が「郷土研究」なる名称を初めて用いた。
==参考文献==
- 柳田國男、『日本の民俗学』、中公文庫、2019年6月刊行。
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|
- その記述が何を典拠に書かれたのか、参照性が高い。
- 帰属化されており、中立的な観点が実現しやすい。
- 読者にとっては、略記だけではわかりにくい。
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どのぐらいの頻度で出典を示すべきか
P
いろいろなパターン
あああ
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例1
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建久3年(1192年)7月12日に源頼朝は征夷大将軍に任じられた。建久4年(1193年)5月に富士の巻狩りを行った。[要出典]
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|
例2
|
『吾妻鏡』によれば、建久3年(1192年)7月12日に源頼朝は征夷大将軍に任じられた。『曽我物語』によれば、建久4年(1193年)5月に富士の巻狩りを行った。
|
|
例3
|
建久3年(1192年)7月12日に源頼朝は征夷大将軍に任じられた(『吾妻鏡』)。建久4年(1193年)5月に富士の巻狩りを行った(『曽我物語』)。
|
|
例4
|
==本文==
建久3年(1192年)7月12日に源頼朝は征夷大将軍に任じられた[1]。建久4年(1193年)5月に富士の巻狩りを行った[2]。
==注釈==
|
|
例5
|
==本文==
建久3年(1192年)7月12日に源頼朝は征夷大将軍に任じられた。建久4年(1193年)5月に富士の巻狩りを行った。
==参考文献==
|
|
効果
|
- その場ですべてが示される。
- 読者にとって、根拠が明瞭である。
- 情報が帰属化されており、中立的に書きやすい。
|
- 長くなる。読みにくく感じるかもしれない。
- あまりにも一般的な事柄を、帰属的に記述すると、あたかも、それが一般的ではない注意を要する事柄であるような印象を与えることがある。(例:「田中によれば、ニューヨークはアメリカの都市である。」)
|
S
いろいろなパターン
あああ
|
例1
|
建久3年(1192年)7月12日に源頼朝は征夷大将軍に任じられた。[要出典]
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例1
|
建久3年(1192年)7月12日に源頼朝は征夷大将軍に任じられた(『吾妻鏡』)。
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|
例1
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建久3年(1192年)7月12日に源頼朝は征夷大将軍に任じられた(『吾妻鏡』建久3年(壬子)7月20日条)。
|
|
例1
|
建久3年(1192年)7月12日に源頼朝は征夷大将軍に任じられた(北条本『吾妻鏡』建久3年(壬子)7月20日条)。
|
|
例1
|
建久3年(1192年)7月12日に源頼朝は征夷大将軍に任じられた(新訂増補国史大系・北条本『吾妻鏡』建久3年(壬子)7月20日条)。
|
|
例2
|
建久3年(1192年)7月12日に源頼朝は征夷大将軍に任じられた(新訂増補国史大系・北条本『吾妻鏡』建久3年(壬子)7月20日条)。
|
|
例3
|
新訂増補国史大系・北条本『吾妻鏡』建久3年(壬子)7月20日条によれば、建久3年(1192年)7月12日に源頼朝は征夷大将軍に任じられた。
|
|
例4
|
==本文==
建久3年(1192年)7月12日に源頼朝は征夷大将軍に任じられた[1]。
==注釈==
- 1. 新訂増補国史大系・北条本『吾妻鏡』建久3年(壬子)7月20日条
|
|
|-
|colspan="3"|効果
|-
|colspan="2"|
- その場ですべてが示される。
- 読者にとって、根拠が明瞭である。
- 情報が帰属化されており、中立的に書きやすい。
|width="50%"|
- 長くなる。読みにくく感じるかもしれない。
- あまりにも一般的な事柄を、帰属的に記述すると、あたかも、それが一般的ではない注意を要する事柄であるような印象を与えることがある。(例:「田中によれば、ニューヨークはアメリカの都市である。」)
|-
|}
A
記事の解説文章中に、情報源についても織り込む方式
A1
解説本文中で、帰属化して情報源についても説明する方式(AAA方式)
|
例1
|
北条本『吾妻鏡』建久3年(壬子)7月20日条には、建久3年(1192年)7月12日に源頼朝は征夷大将軍に任じられたとある。
|
|
例2
|
倉上政幹『水産動植物精義』(杉山書店、1925年。pp.293-299「たらばがに」)によれば、タラバガニはヤドカリの一種である。
|
|
効果
|
- その場ですべてが示される。
- 読者にとって、根拠が明瞭である。
- 情報が帰属化されており、中立的に書きやすい。
|
- 長くなる。読みにくく感じるかもしれない。
- あまりにも一般的な事柄を、帰属的に記述すると、あたかも、それが一般的ではない注意を要する事柄であるような印象を与えることがある。(例:「田中によれば、ニューヨークはアメリカの都市である。」)
|
see
A2
解説本文中で、情報源を明示する方式(BBB方式)
|
例1
|
建久3年(1192年)7月12日に源頼朝は征夷大将軍に任じられた(北条本『吾妻鏡』建久3年(壬子)7月20日条)。
|
|
例2
|
タラバガニはヤドカリの一種である(倉上政幹『水産動植物精義』、杉山書店、1925年。pp.293-299「たらばがに」)。
|
|
効果
|
- その場ですべてが示される。
- 読者にとって、根拠が明瞭である。
|
- 長くなる。読みにくく感じるかもしれない。
- 断定的に記述することで、それが一般的な事柄であるという印象をもたらす。
|
A3
1と2の中間的な方式
情報源と詳細情報を分離する(CCC方式)
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例1
|
『吾妻鏡』には、建久3年(1192年)7月12日に源頼朝は征夷大将軍に任じられたとある(建久3年(壬子)7月20日条)。
|
|
例2
|
倉上政幹によれば、タラバガニはヤドカリの一種である(倉上『水産動植物精義』、杉山書店、1925年。pp.293-299「たらばがに」)。
|
|
効果
|
- その場ですべてが示される。
- 読者にとって、根拠が明瞭である。
- 情報が帰属化されており、中立的に書きやすい。
- A1よりはいくらか読みやすいかもしれない。
|
- 長くなる。読みにくく感じるかもしれない。
- あまりにも一般的な事柄を、帰属的に記述すると、あたかも、それが一般的ではない注意を要する事柄であるような印象を与えることがある。(例:「田中によれば、ニューヨークはアメリカの都市である。」)
|
A4
第三者言及を介する方式
A1に第三者言及を介する方式(DDD方式)
|
例1
|
北条本『吾妻鏡』建久3年(壬子)7月20日条には、建久3年(1192年)7月12日に源頼朝は征夷大将軍に任じられたとある(山田太郎「論文A」2021年、p.999)。
|
|
例2
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倉上政幹『水産動植物精義』によれば、タラバガニはヤドカリの一種である(鈴木花子『文献B』2021年、p.999)。
|
|
効果
|
- 第三者言及を介することで、その情報の信頼性や中立性が変化する。
|
A1と比較すると、この方式は「情報」に第三者による保証が付与され、信頼度が高くなる効果があるかもしれない。これに較べるとA1は一次情報的になる。
しかし「第三者」の選択次第では、情報の信頼性を疑わせる効果が出るかもしれない。
- (例)佐藤医師は、『吾妻鏡』にこうあると述べた。
- この例では、「佐藤医師」は国文学の専門家ではないという情報が加わるため、分析が妥当ではないかもしれないという印象をもたらす。
B
読みやすさを考慮し、記事の解説文章中ではなく、典拠に関する情報を注釈に別掲する方式
B1
あああああ
|
例1
|
==本文==
『吾妻鏡』には、建久3年(1192年)7月12日に源頼朝は征夷大将軍に任じられたとある[1]。
==注釈==
- 1. 北条本『吾妻鏡』建久3年(壬子)7月20日条
|
|
例2
|
==本文==
倉上政幹『水産動植物精義』によれば、タラバガニはヤドカリの一種である[2]。
==注釈==
- 2. (倉上政幹『水産動植物精義』、杉山書店、1925年。pp.293-299「たらばがに」)
|
|
効果
|
- 詳しい書誌情報を別掲することで、記事本文がすっきりする。
|
- 読者は、情報源を確認するために別の場所を参照しなければならない。
|
B2
解説本文中で、情報源を明示する方式(BBB方式)
|
例1
|
建久3年(1192年)7月12日に源頼朝は征夷大将軍に任じられた(北条本『吾妻鏡』建久3年(壬子)7月20日条)。
|
|
例2
|
タラバガニはヤドカリの一種である(倉上政幹『水産動植物精義』、杉山書店、1925年。pp.293-299「たらばがに」)。
|
|
効果
|
- その場ですべてが示される。
- 読者にとって、根拠が明瞭である。
|
- 長くなる。読みにくく感じるかもしれない。
- 断定的に記述することで、それが一般的な事柄であるという印象をもたらす。
|
B3
1と2の中間的な方式
情報源と詳細情報を分離する(CCC方式)
|
例1
|
『吾妻鏡』には、建久3年(1192年)7月12日に源頼朝は征夷大将軍に任じられたとある(建久3年(壬子)7月20日条)。
|
|
例2
|
倉上政幹によれば、タラバガニはヤドカリの一種である(倉上『水産動植物精義』、杉山書店、1925年。pp.293-299「たらばがに」)。
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|
効果
|
- その場ですべてが示される。
- 読者にとって、根拠が明瞭である。
- 情報が帰属化されており、中立的に書きやすい。
- A1よりはいくらか読みやすいかもしれない。
|
- 長くなる。読みにくく感じるかもしれない。
- あまりにも一般的な事柄を、帰属的に記述すると、あたかも、それが一般的ではない注意を要する事柄であるような印象を与えることがある。(例:「田中によれば、ニューヨークはアメリカの都市である。」)
|
B4
第三者言及を介する方式
A1に第三者言及を介する方式(DDD方式)
|
例1
|
北条本『吾妻鏡』建久3年(壬子)7月20日条には、建久3年(1192年)7月12日に源頼朝は征夷大将軍に任じられたとある(山田太郎「論文A」2021年、p.999)。
|
|
例2
|
倉上政幹『水産動植物精義』によれば、タラバガニはヤドカリの一種である(鈴木花子『文献B』2021年、p.999)。
|
|
効果
|
- 第三者言及を介することで、その情報の信頼性や中立性が変化する。
|
A1と比較すると、この方式は「情報」に第三者による保証が付与され、信頼度が高くなる効果があるかもしれない。これに較べるとA1は一次情報的になる。
しかし「第三者」の選択次第では、情報の信頼性を疑わせる効果が出るかもしれない。
- (例)佐藤医師は、『吾妻鏡』にこうあると述べた。
- この例では、「佐藤医師」は国文学の専門家ではないという情報が加わるため、分析が妥当ではないかもしれないという印象をもたらす。
X
- ニューヨークはアメリカの都市である。
- 田中によれば、ニューヨークはアメリカの都市である。
記事中で直接示す場合
- 建久3年(1192年)7月12日に源頼朝は征夷大将軍に任じられた(北条本『吾妻鏡』(新訂増補国史大系)、建久3年(壬子)7月20日条)。
- タラバガニはヤドカリの一種である(倉上政幹・著、『水産動植物精義』、杉山書店、1925年。pp.293-299「たらばがに」)
これを略記することもある
- 建久3年(1192年)7月12日に源頼朝は征夷大将軍に任じられた(『吾妻鏡』7月20日条)
- タラバガニはヤドカリの一種である(倉上、1925、pp.293-299)
この場合には、これだけでは情報源がわからないので、詳しい情報を別掲する必要がある。
- 『吾妻鏡』建久3年(1192年)7月20日条には、建久3年(1192年)7月12日に源頼朝は征夷大将軍に任じられたとある。
- 倉上政幹『水産動植物精義』(1925、pp.293-299)によれば、タラバガニはヤドカリの一種である。
倉上(1925、pp.293-299)によれば、タラバガニはヤドカリの一種である。
長所・メリット
- 読者が、根拠を即座に理解できる。
- 情報が帰属化されており、中立的に書きやすい。
- 『吾妻鏡』のように、情報源自体がよく知られているケースでは、話が早い
短所・課題
- 長くなる。
- 『吾妻鏡』だけでは、どの写本なのか、どの記述なのかを求められるかも知れない。
→北条本『吾妻鏡』(新訂増補国史大系)、建久3年(壬子)7月20日条
- あまりにも一般的な事柄を、帰属的に記述すると、あたかも、それが一般的ではない注意を要する事柄であるような印象を与えることがある。
- ニューヨークはアメリカの都市である。
- 田中によれば、ニューヨークはアメリカの都市である。