トーク:モルトン/wiki quality/改訂版
モルトン
- UK/イングランド
- Region/Yorkshire and the Humber(w:ヨークシャー・アンド・ザ・ハンバー)
- Shire county/e:North Yorkshire(w:ノース・ヨークシャー)
- shire_district /Ryedale
- 座標:N 54.139/W -0.792
- 人口:4888人
- constituency_westminster / Thirsk and Malton
モルトン(Malton)はヨーク地方の町である。
目次
地理
モルトンはダーウェント川(River Derwent)の中流にある。ダーウェント川はヨーク地方の中央を南北に流れるウーズ川(River Ouse)の支流である。昔はダーウェント川はヨーク州内の郡境になっていて、右岸(北側)が 北ライディング郡(e:North Riding of Yorkshire、左岸(南側)が東ライディング郡(e:East Riding of Yorkshire)だった。モルトンは右岸の北ライディング郡に属していた。
ダーウェント川の対岸にはノートン(Norton)の町がある。鉄道の「モルトン」駅や「モルトン」バス停は、実際にはノートン側にある。
気候
他の地域同様、モルトンは海洋性気候で、夏冬はさほど厳しくない。最寄りの気象台はモルトンから6マイル(約10km)ほど東のハイモーソープ(High Mowthorpe)にあるが、標高差があるため、年間を通してハイモーソープ気象台の数値よりも少し温かい。
交通
モルトンは、ヨーク地方の中心都市(リーズやヨークなど)と北海沿岸の都市(ウィットビー(e:Whitby)、スカボロー(Scarborough)、ファイリー(e:Filey)など)を結ぶ中継地点にあたり、リーズやヨークから沿岸部へ向かう際の分岐地となっている。
- 水運
かつてダーウェント川を使った水運が盛んに行われていた。1725年頃には、物資を運ぶのにたくさんのはしけが水路を通っていた。
鉄道が通るようになると、水運と鉄路が競合するようになった。そのうち鉄道会社が川の運行権を獲得し、水運は急ぐ場合に限っての利用とされるようになった。やがて安価な石炭が入ってくると、鉄道会社は水運ための川の管理を怠るようになった。
- 鉄道
ヨーク=スカボロー線(e:York to Scarborough Line)のモルトン駅(e:Malton railway station)がある。この路線は19世紀半ばの鉄道狂時代に建設されたもので、1845年に開業した。
モルトン駅はペナイン横断急行(e:TransPennine Express)の停車駅になっていて、スカボロー始発の特急が1時間に1本走っている。特急はスカボローからモルトン、ヨーク、リーズ、マンチェスターを経由してリバプールまで行く。モルトンからロンドンのw:キングス・クロス駅への最短所要時間は、ヨークでの乗り換え1回をはさんで約2時間33分である。モルトンからリーズまでは51分かかる。
かつてはモルトンから分岐した支線があり、ヨーク・ノースミッドランド鉄道の路線があった。これはモルトンからピカリング(e:Pickering, North Yorkshire)を経由して、ノースヨークムーア国立公園(e:North York Moors)を抜け、ウィットビー(e:Whitby)まで続いていた。
この支線のうち、モルトンとピカリングの間は廃線になり、いまはピカリング・ウィットビー間を北ヨーク高原鉄道(e:North Yorkshire Moors Railway)が走っている。
廃線を復活させようという計画もあり、そうするとモルトンからウィットビーまで、約32マイル(約51km)が鉄路で繋がることになる。
現存しないが、モルトンとドリフィールド(e:Driffield)を結ぶ支線(Malton and Driffield Junction Railway )が1853年から1950年代まで運行されていた。
- 道路
リーズからヨークを経てスカボローに至るA64号線(e:A64 road)はモルトンの中心部を迂回している。モルトンにはA169号線とのジャンクションがあり、こちらはモルトンからピカリングを経てウィットビーへ繋がっている。
リーズとスカボローを結ぶ探勝道「白薔薇のみち」(e:The White Rose Way)はモルトンを通っている。
- バス
モルトンのバス停はトランスデヴ社(e:Transdev)のバス部門が運行する高速バス(Coastliner)が走っている。高速バス便はリーズ行き、ヨーク行き、ピカリング・ウィットビー行き、スカボロー行き、ブリッドリントン行きがある。路線バスはハワード城(e:Castle Howard)行き、ホビンガム(e:Hovingham)行きなどの路線がある。
地方区分
古典的な地方区分では、モルトンは「ヨーク州・北ライディング郡」(e:North Riding of Yorkshire)となる。
イギリスでは1970年代からしばしば地方区分の仕組みが変更されており、年代ごとの用語・訳語が複雑になっている。(詳細はw:イングランドの行政区画・w:イギリスのカウンティ・w:イングランドのカウンティ・w:イングランドの都市および非都市カウンティ参照。)
いまの地方区分と人口は下記の通り。
原語 | 本項での訳語[注 1] | 名称 | 訳語 | 人口 |
country | 国 | e:England | w:イングランド | 約5300万[1] |
region | 地方 | e:Yorkshire and the Humber | w:ヨークシャー・アンド・ザ・ハンバー | 約530万[1] |
county | 州 | e:North Yorkshire | w:ノース・ヨークシャー | |
district | 郡 | e:Ryedale | ライデール | 約5万2000[1] |
town | 町 | Malton | モルトン | 約13000人 |
モルトンにはライデール郡の郡役場(offices of District Council)がある。
行政教区(civil parish)と選挙区( electoral ward)としてはモルトンは独立単位になっており、教区・選挙区でみると人口は4888人(2011年)[1]となっている。
- 選挙区
13世紀に、モルトン一帯には1つの小選挙区(parliamentary borough)が割り当てられた。1640年から1885年にも改めて制定されており、この選挙区(the borough)は「ニューモルトン選挙区」(New Malton)と呼ばれていた。選挙区の定員は2名だったが、1869年から1885年は1名になった。18世紀の議員には政治思想家のw:エドマンド・バークがいる。
いまは保守党のアン・マッキントッシュ(e:Anne McIntosh)がスリスク・モルトン地区(e:Thirsk and Malton (UK Parliament constituency))の選出議員(任期は2010年から2015年)である。
社会
- 教会
国教の聖ミカエル教会(St Michael's)、カトリックの聖レオナルド・メアリ教会(St Leonards with St Mary)ほか、いくつかの教会がある。
- 教育機関
初等教育を行う学校は聖メアリ教会の附属小学校、ノートン町立小学校、モルトン町立小学校である。
中等教育を行う学校が2校ある。1547年開校のモルトン校(e:Malton School、11-18歳が対象)、ノートン校(e:Norton College、対象年齢はe:Sixth form参照)である。
文化
- 文学
町はヴィクトリア時代の小説家w:チャールズ・ディケンズとの関連で知られている。ディケンズは友人のチャールズ・スミソン(Charles Smithson)を訪ねて定期的にモルトンに来ていた。ディケンズの『クリスマス・キャロル』はモルトン滞在中に書き上げたものである。
ディケンズにちなんだ催事が近年行われている。モルトンとその隣のオールドモルトン村(village of Old Malton)では、この作品中に出てくる台詞「ヨークのクリスマスでは、すべてが輝いている(All is Bright - A Yorkshire Lad's Christmas)」を再現している。
- 博物館
モルトン博物館はヨーカーズゲート通り(Yorkersgate)にある。[2]
町外れには、軍隊をテーマにした博物館のキャンプ・エデン(e:Eden Camp)がある。
- 名所・旧跡
いまのモルトンの主な見どころは、「オーチャード野(Orchard Fields)」にある古代ローマの城址、モルトン修道院(e:Malton Priory)、ギルバタイン修道院(e:Gilbertine)である。
モルトンには戦争の記念地や、歴史的な教会がいくつかある。ノートンにも大きな教会がある。
産業
- 商業
モルトンはこの地域の商業の中心地である。中心街には昔ながらの小売店が並んでいる。最近は市場周辺に終日営業のバーや喫茶店があり、w:パブのようになっている。
モルトンでは毎週土曜日に市が立つ。農産物の直売市は毎月開かれる。
町には映画館、ショッピングモール、小売店、商店街、カフェ、パブ、レストランがある。
- 地域振興
ライデール郡役場は2013年9月に地域活性化の戦略を発表した。この計画では、モルトンとノートンの2町を郡の中心町(Principal Town)と定め、地域の経済・文化・レジャーの中心地とする。両町での住宅整備や商業の振興によって2027年までの経済成長を目標としている。
計画では毎年200軒の住宅を新たに整備し、2012年から2027年までで郡全体で最低3000軒の住宅を新築する。そのうち約半数はモルトンとノートンに建てる。雇用を増やすための開発はモルトンに集中させる。これらの計画実現のためには郡内に37ヘクタールの土地を要する見込みで、そのうち8割は両町に確保する。[3]
- We Love Malton
「We Love Malton」というキャンペーンは2009年3月に始まった。これはモルトンを「食の町」として活性化することを狙ったもので、移住者・旅行者の両方を獲得しようというものである。2015年5月23-24日には、「食の祭典(Food Lovers Festival)」が催され、ゲストにLevi Roots、Prue Leith、Valentine Warnerが呼ばれた。2016年の催しは5月28-29日に開催される予定。
- Malton Community Interest Company (Malton CIC)
モルトンCICは、2011年に設立された。この組織は地域の寄付で成り立っていて、ライデール郡書店祭(Ryedale Book Festival)をやっている。このほか、モルトンの市場で2時間無料の駐車場を運営している。月に一度の食品の市場開催や、食の祭典も援助している。
- 競走馬の調教地
モルトンとノートンは競走馬の育成で重要である。両町の近傍にはたくさんの調教厩舎がある。2013年8月の「モルトン厩舎公開祭」(Malton Stables Open Day)では、19の厩舎が公開された。作家のノーマン・メイランド(Norman Maitland)はモルトンの競馬史を「長年に渡り、ここはヨーク地方の中心である」と表現している。このあたりでは少なくとも1692年には競馬が行われていたと記録されている。
小史
ローマ時代の城塞
モルトンでは1世紀後半には居住地があったことがわかっている。
イギリス島(ブリタニア)はローマ軍の遠征によって徐々に制圧されていったが、1世紀に軍を率いたアグリコラ将軍はいまのヨーク地方でヨーク城塞(古名e:Eboracum)を作った。同じ頃に、付城としてデルウェンティオ(Derventio)砦が作られた。[4]
デルウェンティオ砦はダーウェント川の右岸に作られ、砦の周辺や川の対岸にも入植地が広がっていった。[5][6]
砦には「Ala Gallorum Picentiana(The Picentine Wing of Gauls)」という古代ローマ軍の1部隊が駐屯していた。(e:Derventio Brigantumも参照)
砦周辺への入植は、ローマ人がイギリスを支配していた4世紀まで続いた。特にトラヤヌス帝、セウェルス帝、コンスタンティヌス大帝、テオドシウス大帝の時代にはw:黒玉の産地として知られており、高名な宝飾職人の名が文献に登場する。[5][5][7]
モルトン城
11世紀に、ノルマン人が木造のモルトン城(e:Malton Castle)を建てた。これは今は城址公園(Castle Garden)になっている。
この城は後にユスタス・ド・ヴェシー卿(e:Eustace de Vescy)が石造りに建て替えた。1189年にリチャード獅子心王がこの地を訪れたときには石の城になっていた。
その後、1307年にイングランド王エドワード2世、1322年にスコットランド王ロバート1世が当地を訪れている。城はその後廃れてしまった。[8]
城のあった場所は1544年に初代ユール男爵(e:William Eure, 1st Baron Eure)が授爵するときに男爵領となった。[原注 1]
1569年に3代ユール男爵(e:Ralph Eure, 3rd Baron Eure)が城跡に邸宅を建てた。邸宅は1602年に改築されたが、当時の初代スリングビー卿(e:Sir Henry Slingsby, 1st Baronet)は、新しい屋敷は有名なオードリー・エンド邸(e:Audley End House)などの当時の様々な邸宅に勝るとも劣らない豪邸だったと伝えている。[8]
17世紀の後半に、ユール家の二人の娘、マーガレットとパームズ家(e:Palmes family)に嫁いだメアリーが屋敷を相続することになった。しかし二人は遺産の相続をめぐって争いになり、法廷に持ち込まれた。州長官のヘンリー・マーウッド(Henry Marwood)は、家を壊して廃材を二分しろと命じ、1674年に解体された。客用の別棟だけが現存しており、当時のジャコビアン様式(e:Jacobean architecture)の『e:prodigy house』の面影や屋敷の規模の片鱗をいまに伝えている。[8]
近代の町の発展
- 18世紀
モルトンには多くの精肉業者がいて、屠殺場が市場の目抜き通りの聖ミカエル教会の北側にあった。18世紀に商人たちが屠殺場の移転をはかり、モルトンタウンホテルの向かいに移した。
公会の場所は1749年に定められた。建物はもともとバター市場だった。バターは当時の農家にとって一番市場価値がある生産物だった。公会場所はその後何度も場所が変わった。
w:リーズとスカボローを結ぶ軽馬車便が開業すると、モルトンは食事休憩地として宣伝するようになった。
18世紀末、この地方一帯は飢饉に見舞われた。当時のフィッツウィリアム伯爵(Earl Fitzwilliam)という人物が出資して、モルトンの酒蔵で「滋味豊かなスープ(good strong soup)」を飢餓民に提供した。
- 19世紀
1801年のモルトンの人口は3788人である。感化院には15人の年長者と17人の子どもが入所していた。
1809年にモルトンのホテル「ザ・タルボット」(The Talbot)が増築し、3階建ての母屋と道路向かいに新しい馬屋を新築した。
1814年に町の集会所が完成し、上流階級の社交場となった。1840年の『White’s Gazetteer』紙は次のように伝えている。「モルトンとその近郊は、集会所の建築と、1832年のガスの整備によって、ここ20年で飛躍的に発展した。」
1840年には『York Herald』紙は、洪水でモルトンの街灯が壊れたと報じている。
Today
モルトンは2014年3月の『e:サンデー・タイムズ』の人気投票で「イギリスで一番すんでみたいところ」の一つに選ばれている。
300年来続くフィッツウィリアム・モルトン不動産は、モルトンの近郊で農地、商業地、住宅地を所有している。1713年には、トマス・W・ウェントワース(Hon Thomas Watson Wentworth)がモルトンの荘園を買い取り、それ以来、町とウェントワース一族とのつながりがある。一族にはウェントワース家、ワトソン=ウェントワース家、ウェントワース=フィッツウィリアム家、ネイラー=レイランド家がある。1713年以来のことをまとめた本『300年の伝統:18世紀から現在までのモルトンでの一族の歴史(300 years of continuity and change: families and business in Malton from the 18th century to the present)』が2013年に出版された(要出典)。
See also
脚注
原注
- ↑ The Eure family had a long and interesting connection with the area – William's son Ralph, born in 1510, defended Scarborough Castle against the Pilgrimage of Grace in 1536 and became Warden of the East Marches. He was also involved in the burning of Edinburgh in 1544. The exploits of this bloody warrior are commemorated in Sir Walter Scott's poem entitled 'Lord Eurie'.
注釈
- ↑ 必ずしも定訳ではなく、便宜上イメージしやすい語にしただけのもの。特に「shire」(シャー)と「county」(カウンティ)はどちらもイギリスでは「州」とされる傾向があるのに対し、アメリカのcountyは一般に「郡」と邦訳される。イギリスの「shire」(シャー)は「県」や「州」と訳すことが多いが、「Yorkshire」は「ヨークシャー」のほか、「ヨーク県」「ヨーク州」とか「ヨーク地方」とすることもある。カウンティやノート:カウンティ#カウンティの訳語も参照。
出典
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 テンプレート:Cite web
- ↑ http://www.maltonmuseum.co.uk/
- ↑ http://extranet.ryedale.gov.uk/PDF/Local_Plan_Strategy_text_only_version_5_sept_13.pdf.
- ↑ テンプレート:Cite PastScape
- ↑ 5.0 5.1 5.2 Jones, R. 2009. Roman Malton. Malton: Malton Museum
- ↑ テンプレート:Cite PastScape
- ↑ Collingwood, R.G. and Wright, R.P. 1965. The Roman Inscriptions of Britain". Oxford: Claredon Press. no.712
- ↑ 8.0 8.1 8.2 テンプレート:Cite web
参考文献
- Derventio - (Malton) Roman Fort and Civilian Settlement L. Peter Wenham (Cameo Books 1974)
- The Romans In East Yorkshire John H. Rumsby, English Life Publications 1980
- Mosaic – the Pavement that Walked Clive Ashman (Voreda Books, London, 2008: ISBN 978-0-9556398-0-7)
- 300 years of continuity and change: families and business in Malton from the 18th century to the present. Norman Maitland, published by Malton CIC in 2013.
外部リンク
- {Commons category-inline|Malton, North Yorkshire}}
- Malton on Ryedale.co.uk
- Malton Mercury Newspaper
- Malton Museum
- We Love Malton
{Portalbar|Yorkshire|England|United Kingdom}} {North Yorkshire|state=collapsed}}
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