どれぐらい時間かかったのかサッパリ覚えていないけれど、
たぶん猊鼻渓に着いたのが9時とかそういう時間。
着いて早速、船着場へ。
カンの鋭い読者ならわかると思うが、
この写真は拾い物なので俺が撮ったものではない。
2005年7月13日が何曜日だったか、
サマーウォーズの主人公ならすぐにわかるのだろうが、
読者の皆さんはすぐにはわからないだろう。
火曜日である。
平日で、まだ本格的な夏の観光シーズンではない、
東北のあまり有名でない観光地に朝の9時にどのぐらいの客が来るだろう。
ゼロである。
そう、船着場は俺しかいない。
川下りの船は、大人1500円、団体の場合は1350円だ。
一艘貸切となると、30,000円である。
だがしかし、俺は1500円、つまり、通常の一人分の料金で船を貸しきる事に成功したのだ。
平日万歳!
というわけで、こういう川下りだが
まあおまえらにも経験有るだろうけど、
こういう川下りでは、船頭さんは、
たぶん毎回毎回言っているのであろう微妙なギャグをかましたり、
途中で舟唄を歌ったりするわけだが、
なにしろ俺とマンツーマンである。
船頭さんのすべての発言に対し、
俺は全力でリアクションをしなければならない。
だってそうだろう?
シカトしたり、景色に見とれて話を聞き逃したりして、
船頭さんが機嫌を損ねて、
ちょっと大げさに船を揺らしてドボンされたら、
それでおしまいだ。
とにかく俺は必要以上に大きなリアクションをして船頭さんを盛り上げた!
いや実際、景色はすげえ。
予想以上。
正直、俺の川遊び好きのルーツはたぶんこの猊鼻渓。
こういう名勝の川下りって、
案外、船も結構混んでたり、ほかの船もいっぱいいて、
落ち着かないもんだけど、
この日はとにかく俺しかいないわけで、
後続の船もいなければ、先行する船もいない。
猊鼻渓に俺しかいない!状態だ。
船頭さんに促されて、
船の真ん中で大の字になって寝てみた。
すげえ
写真でお見せできないのが残念だがすげえ。
なんかこんな感じ
さて、片道済んで、目的地(?)に到着。
ちょっと船を降りて、
そこいらをうろつける。
こういうのを100円ぐらいで売ってて、
対岸のちっさい穴めがけて投げることができる。
運良くインすると、ラッキーだねって趣向だ。
もちろん全弾外れた。
エイラさんなみの回避率だった。
だがそれより印象的だったのは、
ここの砂だ。
実はここの川は「砂鉄川」っていう名前で、
名前の通り、砂鉄が採れるそうなんだけども、
その昔は砂金もとれたそうだ。
ってことで、砂を見ると、
すっげーーーーキラキラしてんの!
夢中になって集めた
たぶん20分ぐらい。
だって船頭さんが、どうせほかに船いないし、
気が済むまでいていいよ、って言うんだもん
で、手のひらいっぱいにキラキラを集めて、
船頭さんに見せたった!
こっ、これ砂金?砂金でしょ?砂金だよね!すっげー!
船頭さんは、ヤレヤレといった顔で
いや、それは黄銅鉱っす
なんの価値もないっすよ
砂金はもう何百年も前に枯渇してm@す
だって
しょんぼりして捨てた
今だったらちゃんと持って帰ってくるのになー
今思い出してもくやまれるじぇい
さて、帰路、
あともう少しで船着場というところで、
この日初めて、船とすれ違った。
相手は老人の団体で、
まあ平日の午前中から観光してる奴らなんて、
だいたいが年寄りの団体旅行だよね
ともかく、そいつらの船とすれ違ったんだけど、
そのときに
「みちのくひとり旅ですな!」 「どっ!」
とはやし声をかけられた。
「いゃぁ・・・へへ・・・」としかリアクションとれねーよ
見られている。
でも、気がつかないふりをしていよう。
気がつかないふりをしていると思われてもかまわない。
いつも見られているから平気なんだと思わせておけばいい。
実際、もう慣れっこになってしまっているし、慣れっこにされてしまっているのだ。
店員たちの視線に。みんながわたしを見る、
その何かを恋い願うような視線、慕い寄るような視線、粘りつき、からみついてくるような視線に。
わたしは知っている。
わたしがこの観光地でゆいいつの、平日の昼間のゆいいつの観光客だということを。
わたしは観光地の駐車場の通路を歩く。
道の駅に面した、ガラガラの駐車場をわたしは歩く。
土産物屋の出口には店員たちがたむろしている。
コンクリートの段や木の廊下の床にべったりと座ったり、壁や柱にもたれかかったりして、
土産物からは駐車場との境の窓越しに、歩いていくわたしの姿を見ている。
行く先ざきでそれまでの話し声がやみ、沈黙の中でわたしを見つめる。
聞こえるのは時おりごく、と唾を飲み込む咽喉の音と、
「紙漉き」「紙漉き」とささやき交わす声だけ。
だいたい平日の昼から独りで紙漉きの体験をやろうなんて物好きはあまりいない。
だから入場者はわたしだけだ。
すぐに、このあたりは、
東山和紙という紙漉きの産地だということがわかった。
紙漉きの産地というのはおかしな表現だが、これは編集者の太田が悪い。
そうすると、まあよくあるのだが、1000円ぐらいで紙漉き体験ができる場所がある。
普通、観光地に行って紙漉き体験なんて、スイーツ3人連れとかがやるようなものだが、
わたしは堂々と一人で申し込んだ。太田が悪い。
もちろん、紙漉き体験といっても、
こんな
本格的ではない。たかが1000円だ。
わたしは店員に言ってやった。
「製織の研究をしているの。それで、研究材料にあなたに製紙をみせて欲しいの。」
「製紙ってあの、あの、あの」
「そうよ。製紙よ」
「だけど、どうやって」
「そこで、見せて」
そう言うと店員は製紙を始めた。
こんな感じで、
基礎的な紙漉きはあらかじめ済んでいて、
板の上にはどろどろした白濁の繊維が薄く広くひろげられている。
この上に、色のついた和紙をどろどろに溶かした液体や、
自然の落ち葉や繊維類をのせていくだけだ。
はじめは店員がわたしのために見本をみせてくれる。
どろりとした着色された繊維はビーカーにはいっている。
これを濡れた白いドロッとした和紙の繊維の上にたらすのだ。
見る見るうちに彼の漉く和紙が色とりどりにふくれあがった。
ははあ。こんなことぐらいで着色するんだ、と、わたしは感心した。
ひとしきり漉き終えると彼は「次はお客様がやってみてください」と言った。
彼は「お客様」と嬉しそうに言ったので、こいつには命令したほうがいいんだ、とわたしは悟った。
「いいから、着色料を出しなさいっ」
「はい。はい。はいっ」店員は急いで着色材料を揃えた。数が多いためか、着色剤はなかなか出てこなかった。
出てきたものの多さにわたしは驚いた。
こんなに種類が多くなるものとは想像もしていなかったのだ。
「おおいっ」
わたしがそう叫ぶと店員は指まで赤くなった。
「すみません。いや、あの、ありがとうございます。いや、あの」
色の種類の多さと素材の豊富さに、ついつい浮かれてしまうと、
ついつい色や素材を全部、使ってみたくなってしまう。
でもそんなことをしたら色キチガイみたいになって、
ゲイが描いたモダンアートみたいになってしまうから
やっぱり色の絞り込みは大切。
わたしが板の上から繊維の部分に触れると、店員はあああと言って眼を丸くし、わたしを見つめた。
わたしがゆっくりと、繊維が散らないようにそっと着色剤をのせはじめると、
彼はぞくりと背中をしゃくりあげるように動かしてから、うわごとのように何か言いはじめた。
その途端、わたしの手の中の、ビーカーの和紙溜まりから勢いよく、
どろりとした製紙の素が溢れだした。
「わあ。たくさん出たあ」
だけど、製紙の素ってすごくどろどろしていて水っけが多いので、
製紙の素が「ごぷっ」っていちどに大量に落ちると、
もともと下に敷いてあった白い製紙の素が環状に広がってしまって孔があいたようになってしまう。
だから、着色をするときは、そっと、少しづつ、少しづつ、
着色の素をそっと製紙の素の上に置いて行かないといけないんだ。
そうしないと穴だらけになってしまう。
葉っぱを置くときもそう。
葉っぱの上に製紙をどろっと置かないと葉っぱは固着されないけれど、
置き過ぎると葉っぱが繊維に隠れてしまってみえなくなる。
だから紙一枚を仕上げるのに、あっという間に1時間ぐらいはかかる。
できあがったものは
1,2週間かけて乾燥させて、
完成品を送ってくれる。
これが完成品。
色数も少ないし、ずいぶんシンプルに見えるけど、
ほんとうにこれで1時間半ぐらいかかった。
文字がとても大変だった。
こんな作品が
こうして1、2週間も人前に晒されてたかと思うと
公開処刑だよね。太田が悪い。