Corrida

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Barcaldine  Marco  Marcovil  Hurry On  Coronach 

コリーダCorrida)はフランスの競走馬。1936-37年に凱旋門賞を連覇した。マルセル・ブサックの代表的な生産馬としても知られる。第2次世界大戦中に消息不明となった。

Corrida ハリーオン系
Coronach
1923 栗毛 イギリス
Hurry On Marcovil
毛色 栗毛 Toute Suite
生年 1932 Wet Kiss Tredennis
生産地 フランス Soligena
生産者 マルセル・ブサック Zariba
1919 鹿毛 フランス
Sardanapale Prestige
馬主 マルセル・ブサック Gemma
調教師 ジョン・E・ワッツ St.Lucre St.Serf
成績等 33戦13勝 Fairy Gold F-No.9-e

コリーダ(Corrida)はハリーオン系らしい晩成型のステイヤーだった。2歳(1934年)時にモルニ賞を勝つなど、能力の片鱗を見せたが、3歳(1935年)のクラシックシーズンはイギリスの1000ギニーオークスに挑んで惨敗した。本来夏に行われるベルギーのオステンド国際大賞が、この年はベルギー王妃の交通事故死の影響で9月に延期され、コリーダはここで本命のアドミラルドレイク(Admiral Drake)を破った。しかしその後フランスに戻り、秋の重賞を3戦して1勝もできなかった[1]

コリーダが本格化したのは古馬になってからで、1936年(4歳時)にイギリスのハードウィックS、ベルギーのオステンド国際大賞を勝ち、地元フランスでは凱旋門賞、共和国大統領賞マルセイユ大賞エドヴィル賞に勝った。翌年(5歳時)もオステンド国際大賞、ドイツの帝都大賞(現在のベルリン大賞)を勝ち、さらに凱旋門賞を連覇した[1]

引退して繁殖牝馬となったコリーダは子に恵まれず、出産した産駒は2頭で、うち1頭は生まれてすぐに死んだ。その後まもなく第二次世界大戦が始まり、フランスはドイツ軍の侵攻を受けた。その後のことははっきりとは判っていないが、いずれにしても1944年のノルマンディー上陸作戦の後にはコリーダの姿はなかった。上陸作戦に巻き込まれて死んだと考えられている[2]。しかし結果的にただ1頭の産駒となったコアラズ(Coaraze)は1945年に仏ダービーを勝った[1]

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  2. さまざまな想像、異説があり、馬を奪って逃げようとしたドイツ兵に抵抗して射殺されたとか、多くの異説があるが裏付けのあるものではなく、消息不明となっている。