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2015年6月1日 (月) 20:23時点における版
サンドピット(Sandpit)はブラジル産の競走馬。ブラジルで大レースに勝ち、北米へ移籍すると芝の中長距離のG1戦をいくつも勝った。1994年・1995年の秋にはジャパンカップで来日し、1994年には1番人気になった[1][2]。
サンドピット Sandpit | ||||
性 | 牡 | Baynoun 1981年 鹿毛 アイルランド |
Sassafras | Sheshoon |
毛色 | 栗毛 | Ruta | ||
生年 | 1989 | Busarella | Busted | |
生産地 | ブラジル | Danarella | ||
生産者 | Sao Jose de Serra牧場 | Sand Dancer 1979年 栗毛 フランス |
Green Dancer | Nijinsky |
馬主 | Sierra Thoroughbreds(アメリカ移籍後)[2] | Green Valley | ||
調教師 | リチャード・マンデラ調教師(アメリカ移籍後)※ | Sinope | Aureole | |
成績等 | 40戦14勝 | Suffisante F-No.7-e |
※ブラジル時代の調教師はM・Carvalho、J・L・Maciel、
サンドピットは1992年の秋に、リネオパウラマシャド大賞(G1)に勝ち、ダービーパウリスタ大賞で2着になった。年が明けるとクルゼイロドスル大賞G1、フランシスコエドゥアルドパウラマシャド大賞、ABCPCCマティアスマシュリーニ大賞などに勝ち、1993年のブラジルの3歳チャンピオンになった。
サンドピットは1994年からは北米に移籍した。マンデラ調教師のもとで調教を積み、10月にはG1競走のオークツリー招待ステークスを勝った。サンドピットはその後、日本のジャパンカップに遠征した。サンドピットは1番人気に支持されたが、5着に敗れた[3]。
翌1995年には、アメリカで春にサンルイレイハンデ(G1)に勝った。6月から7月にかけて、「東海岸シリーズ」をなすシーザース国際ハンデ(G1)とシーザースパレスターフチャンピオンシップハンデ(G2)を連勝し、東海岸シリーズ制覇のボーナスを獲得した。この年の後半戦は8月のアーリントンミリオンステークス、10月のオークツリー招待ステークスで2着になったあと、ジャパンカップに再来日し、3番人気になったが8着に敗れた[1]。
サンドピットはその後も1997年までシーズンを通して走り、ハリウッドターフハンデ(G1)やシーザス国際ハンデ(G1)に勝った。1997年にはドバイワールドカップで3着になっている[2]。
サンドピットは1998年から種牡馬になったが、2003年に死亡した。
ブラジルでの主な勝鞍
- ブラジル3歳チャンピオン
- リネオパウラマシャド大賞(GP Linneo de Paula Machado)伯G1
- クルゼイロドスル大賞(GP Cruzeiro do Sul)伯G1
- フランシスコエドゥアルドパウラマシャド大賞(GP Francisco Eduardo de Paula Machado)伯G1
- ABCPCCマティアスマシュリーニ大賞(GP ABCPCC-Matias Machline)伯G1
- ダービーパウリスタ大賞2着
北米時代の主な勝鞍
- オークツリー招待ステークス(G1)
- サンルイレイハンデ(G1)
- シーザース国際ハンデ(G1)2回
- ハリウッドターフハンデ(G1)
- シーザースパレスターフチャンピオンシップハンデ(G2)
- サンマルコスハンデ(G2)
- アーリントンミリオンステークス(G1)2着2回、3着1回
- オークツリー招待ステークス(G1)2着
- サンタアニタハンデキャップ(G1)2着
- ドバイワールドカップ3着
- ジャパンカップ(G1)5着
種牡馬成績
1998年から2003年まで供用、2003年秋に死亡。
カテゴリー
- ↑ 1.0 1.1 Siegerlisten サンドピット2013年12月4日閲覧。
- ↑ 2.0 2.1 2.2 ギャロップジーガー サンドピット成績2013年12月4日閲覧。
- ↑ リチャード・マンデラ調教師は、この前年にもコタシャーンでジャパンカップに挑戦し、1番人気に支持されながら2着に敗退している。