完成版 スピリット・オブ・クリスマス (1995年の短編)

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冒頭文

スピリット・オブ・クリスマス[1]」(The Spirit of Christmas)、通称「ジーザス対サンタ」(Jesus vs. Santa)は、後に『サウスパーク』(1997年初放映)を作るトレイ・パーカーマット・ストーンが、1995年に制作した短編アニメーション作品である。これが『サウスパーク』の直接の原型となった[1]

彼らは1992年にも同名の作品『スピリット・オブ・クリスマス[2]』(The Spirit of Christmas、通称「ジーザス対フロスティー[2]」(Jesus vs.Frosty))を制作しており、それとの区別のため副題の「ジーザス対サンタ」でも知られる。

制作背景

Fox社の重役で、「America's Most Wanted」などを手掛けていたブライアン・グレイデンEnglish版は、いつも新しい作品を探し回っていた[3]。1994年2月、サンダンス映画祭開催中に、マット・ストーントレイ・パーカーの「カンニバル! THE MUSICALEnglish版」の予告編が目に留まった[4][3]。この予告編はトレイ・パーカーがコロラド大学ボルダー校在学中に授業の課題として制作したもので[5][6]、彼らは映画祭に持ち込んだが上映を断られ、やむなくホテルでささやかな試写をしたところへ、たまたまグレイデンが観に来ていたのだった[4][注 1]

トレイ・パーカーとマット・ストーンは、1992年に完成させていた『スピリット・オブ・クリスマス ジーザス対フロスティー』をグレイデンに見せた[4]。グレイデンは彼らに2000ドルを支払って、クリスマス用のショートムービーの制作を個人的に依頼した[4][1]。この短編は、グレイデンがクリスマスカード代わりに友人へ送るためのものだった。[4][7][3]

2人は5分間の短編アニメ『スピリット・オブ・クリスマス ジーザス対サンタ』を制作[3]。実際に要した費用は750ドルだったと伝わる。グレイデンはこれを収めたビデオテープを80名の友人に送付した。1995年12月のことだった。

内容

切り絵風のアニメによる5分ほどの短編作品である。

「サウスパーク」という集落でスタンカイルカートマンケニーの4人組が「おめでとうクリスマス」を歌っている。スタンはユダヤ人のカイルはクリスマスを祝ってはいけないと言い出し、カイルが「ハヌカー」が歌うと、カートマンとともに「stupid」「sucks」だと馬鹿にして笑う。カイルとカートマンは互いに「fuckin' fatass」「buttfucker」などと罵り合いになる。

そこへジーザスが現れる。スタンとカイルはジーザスがユダヤ人のカイルを殺しに来たのだと予想したが、ジーザスは「モール」というところへ連れて行ってほしいと頼む。4人がジーザスをモールへ案内すると、そこにはサンタがいた。セリフはないが、サンタの膝の上に座る少女としてウェンデイも登場する。

ジーザスとサンタは「クリスマスは私の誕生日だ」「クリスマスはプレゼントを配る日だ」と争う。彼らはゲーム「モータルコンバット」のようなバトルを繰り広げ、その巻き添えでケニーら何人もの子どもたちが死ぬ。ジーザスとサンタの双方スタンたちに加勢を要求すると、スタンは困って「こんなとき、ブライアン・ボイターノならどうする?」と自答する。するとそこへブライアン・ボイターノが登場し、主人公たちに助言を与える。その助言によってジーザスとサンタは和解する。ケニーの死骸は動物たちに食べられる。

反響

『スピリット・オブ・クリスマス ジーザス対サンタ』のビデオを受け取った人々の間で、作品は大好評となった[3][1]。ヘヴィメタルバンドのメタリカはコンサート会場で上映した[4]。なかでも俳優のジョージ・クルーニーがこの作品を大いに気に入り、ビデオのコピーを量産してばら撒いたという[1][4]

やがて作品は1996年の「アングラアニメ界のアカデミー賞」とされるSpike and Mike's Sick and Twisted Festival of Animationのクロージング作品として上映されるまでになった[4]。また、同年にロサンゼルス映画批評家協会賞最優秀アニメ作品賞を受賞した[8]

『サウスパーク』へ

Fox社は、短編TVアニメシリーズ化に向けて、トレイ・パーカーとマット・ストーンの両者と交渉をはじめた。だがこの交渉は成立しなかった。2人は、「Mr.ハンキー」という名前の、喋るウンチのキャラクターが登場する『Mr.ハンキー・ショー[4]』という番組制作を主張したが、Fox社はそのようなキャラクターの登場を拒み、企画から手を引くことにした。グレイデンはこれが原因でFox社を辞めた[3]

ケーブルテレビコメディ・セントラル社が作品に興味を示し、グレイデンと、トレイ・パーカーとマット・ストーンはコメディ・セントラルで企画を進めることになった[3]。グレイデンのアイデアで作品名は『サウスパーク』というタイトルになった[4]

1996年10月に『サウスパーク』のパイロット版が完成、1997年1月にこのパイロット版をコメディ・セントラルが買い上げた[4]。コメディ・セントラルはこれをシリーズ化することを決めると、トレイ・パーカーとマット・ストーンは内容を修正し、1997年8月13日にシリーズ第1話となる『サウス・パーク』「カートマン、お尻から火炎フン射English版」が放映された[4]。同作はコメディ・セントラル・チャンネルの最高視聴率を叩き出した。グレイデンは新しい才能を発掘する魔法のような手腕の持ち主だと評価されることになった[3][注 2]

逸話

『スピリット・オブ・クリスマス ジーザス対サンタ』では「モータルコンバット」の音源を無断使用しているため、正式版をリリースできないという[1]

1998年発売のプレイステーション用ソフト「Tiger Woods 99 PGA Tour Golf」の初回10万本限定版にも、隠し要素として『スピリット・オブ・クリスマス ジーザス対サンタ』が収められていた。これはパソコンでも視聴可能だった。しかしこれは正式な許可を得ていないものだったため、1999年1月に発売元のEAスポーツ社が回収する騒ぎになった。[9]

脚注

注釈

  1. これを評価した学校の教授が自ら出資して長編の『カンニバル! THE MUSICAL』本編制作が実現、トレイ・パーカーが監督・脚本・音楽などを手掛け、マット・ストーンが出演した。[5][6] 内容は食人事件であるアルフレッド・パッカー事件を『オクラホマ!』風のミュージカル仕立てにしたもの[6]。のちにトロマ・エンターテインメントが劇場公開した[6]
  2. のちにグレイデンはコメディ・セントラル社を退社し、若い頃からの夢だったというMTV社に移った。[3]

出典

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 『公式版 サウスパーク コンプリート・ガイド』p.90「スピリット・オブ・クリスマス」
  2. 2.0 2.1 『公式版 サウスパーク コンプリート・ガイド』p.88「スピリット・オブ・クリスマス」
  3. 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 3.5 3.6 3.7 3.8 テンプレート:Cite web
  4. 4.00 4.01 4.02 4.03 4.04 4.05 4.06 4.07 4.08 4.09 4.10 4.11 『公式版 サウスパーク コンプリート・ガイド』pp.92-93「『サウスパーク』ヒストリー」
  5. 5.0 5.1 『公式版 サウスパーク コンプリート・ガイド』p.86「『サウスパーク』の生みの親トレイ&マット」
  6. 6.0 6.1 6.2 6.3 『公式版 サウスパーク コンプリート・ガイド』p.89「カンニバル!THE MUSICAl」
  7. テンプレート:Cite web
  8. テンプレート:Cite news
  9. テンプレート:Cite web
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書誌情報

外部リンク

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関連項目

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