アラン3世 (ナント伯)

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en:Alan, Count of Nantes (988–90)(oldid=750227503)より転記

テンプレート:基礎情報 皇族・貴族

アラン3世フランス語Alain III de Nantes英語Alan III of Nantes、981年頃 - 990年)はフランスのブルターニュに近いナントを治めたナント伯français版の一人。詳しいことはあまりわかっていない。

父親はナント伯・ブルターニュ公グエレスGuérech)、母親はアランビュルジュ・ド・アンスニ(Aremburge d'Ancenis)という。『ナント年代記français版』には、987年頃にアンスニ城français版を築城した人物としてアラン3世と母アランビュルジュの名がある[1]

父のグエレスがレンヌ伯コナン1世と争って殺されると、988年にアラン3世が父グエレスの後をついでナント伯となった。また、おそらくこのときに、形だけブルターニュ公位も継いだ。その後2年に渡り、レンヌとナントとのあいだでは戦が続いた。990年にアラン3世が没した。病で死んだのか、コナン1世に殺されたのか、経緯はわかっていない。このあとコナン1世がナントを制圧すると、コナン1世はナント司教Orscand(Orscand de Vannes)の承認によってブルターニュ公位に就くと宣言した[2][3]

この人物(ナント伯アラン)は、ふつう正式なブルターニュ公には含めない。「アラン」という名前のブルターニュ公としては、アラン2世狡猾公(938年 - 952年)やアラン3世français版(1008年 – 1040年)、アラン4世若公(1060年頃 - 1119年)などの人物がいて、仮にこの人物(ナント伯アラン)をブルターニュ公に加えると「3世」以降が1代ずれることになる。このため一部では混乱がみられる。同様に歴代のナント伯にも「アラン」が数名おり、こちらでも代数に齟齬がでることがある[注 1]

脚注

注釈

  1. ナント伯の場合には、この人物よりも前の時代にも同じことが起きているため、誰を含めるかによって「アラン」何世であるかは1、2代のずれが生じる。

出典

  1. Jones (1988), p. 25.
  2. Chédeville and Tonnerre (1987), p. 34.
  3. Bachrach (1993), pp. 37–38.

書誌情報

  • Bernard S. Bachrach. Fulk Nerra, the Neo-Roman Consul, 987–1040. University of California Press, 1993.
  • André Chédeville and Noël-Yves Tonnerre. La Bretagne féodale XIe-XIIIe siècle. Ouest-France Université Rennes (1987) テンプレート:ISBN.
  • Michael Jones. Creation of Brittany: A Late Medieval State. The Hambledon Press, 1988.
  • Noël-Yves Tonnerre. Naissance de la Bretagne. Géographie historique et structures sociales de la Bretagne méridionale (Nantais et Vannetais) de la fin du VIIIe à la fin du XIIe siècle. Presses de l'Université d'Angers Angers (1994) {ISBN|978-2903075583}}.


先代:
グエレス
ナント伯
988年-990年
次代:
コナン1世