シェスキイ

提供: Test Wiki
移動: 案内検索
Godolphin Arabian  Cade  Matchem  Trumpator  Sorcerer  Comus  Melbourne  West Australian  Solon 

Barcaldine  Marco  Marcovil  Hurry On  Precipitationn  Sheshoon 

シェスキイはシェシューンを父とする持込馬で、日本で走り、中距離の競走を中心に活躍して1968年の最良スプリンターに選ばれた。

シェスキイ ハリーオン系
牡馬 Sheshoon
1956年 栗毛 アイルランド
Precipitation Hurry On
毛色 栃栗毛 Double Life
生年 1963 Noorani Nearco
生産地 千葉県 Empire Glory
生産者 ヤシマ牧場 *インズキー
1955年 栗毛 イギリス
*キングスベンチ Court Martial
馬主 小林庄平 King's Cross
調教師 大久保房松 Hunter's Quay Mustang
成績等 31戦15勝 Dunure F-No.4-d
  • 2~6歳時31戦15勝

シェスキイの母インズキーはアイルランドの5ハロンのレースで3勝をあげた競走馬である。祖母のハンターズキーはアイルランド1000ギニーで3着の実績があるほか、その兄弟にはアイルランドダービー優勝馬のダークウォリヤー(Dark Warrior)やアングルシーステークスの勝馬ソーチリー(Sauchrie)がいる。シェスキイはインズキーが日本に輸入された時に身ごもっていたシェシューンの仔で、千葉県で生まれて競走馬になった。なお、シェスキイはハリーオンの3×5のインブリードを持っている。シェスキイの半弟、シェスタイムも重賞勝馬になり、北海道道営記念などに勝ち、種牡馬となっている。

シェスキイはハリーオン系らしく成長が遅く、3歳での3月にデビューした。デビュー戦を含めて5月までに4戦して3勝2着1回の成績でダービーに出ると、重賞出走経験すらなかったが28頭中5番人気になった。シェスキイは先行したが、直線に入ってからはいいところなく11着に敗れた。勝ったテイトオーは条件戦を勝ち上がるのに9戦を要してきた12番人気の穴馬で、2着にも18番人気のソロモンが入って大荒れになった[1]。シェスキイは秋も菊花賞を5番人気で出走したが10着に敗れた。

その後、12月のクモハタ記念(1800メートル)でシェスキイは3馬身離してレコード勝ちをした。シェスキイは翌1967年にもクモハタ記念を勝って連覇を達成した。しかし、有馬記念や天皇賞といった長距離戦では大敗した。

5歳になった1968年には春に中山記念を含めて4連勝し、2500メートルの日本経済賞でも2着になった。さらにハンデ戦の安田記念では60キロを背負って本命で勝ち、秋には毎日王冠も60キロで勝った。この年、シェスキイは1600メートルから2000メートルの競走で7勝、うち重賞3勝の成績で最良スプリンターに選出された。このあと有馬記念では大敗したが、引退レースとなった1969年の正月の七草ステークスでは、61キロを背負って4キロ軽いタケシバオーを破った。これがタケシバオーの日本国内での最後の敗戦となり、タケシバオーはその後8連勝してアメリカへ渡った。

シェスキイは種牡馬になったが、最良の成績をあげた産駒はムサシシェスキー(北関東ダービー2着)にとどまった[2][3][4]

なお、インズキーの牝系子孫には、2014年ジャパンダートダービー優勝馬のカゼノコがいる。

カテゴリー

  1. 2着のソロモンは同枠に2番人気のニホンピローエースがいたので、枠番連勝式の倍率は55倍に留まった。
  2. 『日本の種牡馬録1』白井透・著、サラブレッド血統センター・刊、1969,p102-103 シェスキイ
  3. 『日本の種牡馬録3』白井透・著、サラブレッド血統センター・刊、1977, p204-205 シェスキイ
  4. 『サラブレッド血統事典』山野浩一・宇佐美恒雄、石崎欣一、二見書房、1989,p2048 シェスキイ