プルバン

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Barcaldine  Marco  Marcovil  Hurry On  Precipitationn  Sheshoon 

プルバンPleben)はイギリス産の競走馬。フランス人調教師のもとで走り、パリ大賞典、ロワイヤルオーク賞の二冠を制した。引退後、日本へ輸出されて種牡馬になった。産駒には日本ダービー2着のリンドプルバンなどが出た。馬主は社交界の有名人、ド・リード男爵。

プルバン Pleban ハリーオン系
Sheshoon
1956年 栗毛 アイルランド
Precipitation Hurry On
毛色 栗毛 Double Life
生年 1969 Noorani Nearco
生産地 イギリス Empire Glory
生産者 Devastating
1960年 栗毛 イギリス
Honeyway Fairway
馬主 Baron de Rede Honey Buzzard
調教師 Fascinating Big Game
成績等 10戦3勝 Neartic F-No.12-c
  • 10戦3勝

プルバンは3歳の時(1972年)に3000メートル時代のパリ大賞、3100メートルのロワイヤルオーク賞を勝った[1]。どちらもフランスのクラシック競走だが、いずれも長距離の部類に入る競走で、プルバンは4000メートルのカドラン賞でも2着になっており、典型的なステイヤータイプだった。この年、プルバンはほかにも凱旋門賞(2400メートル)でも2着になっている。

馬主のド・リード男爵はスイス生まれで、オーストリア=ハンガリー二重帝国時代の銀行家のローゼンブルク家に由来する爵位を持っていた。彼はホテル王としてフランスで大成功したが、派手な衣装で着飾り社交界で注目を集めた。プルバンが活躍した1972年にはインターナショナル・ベストドレッサーの殿堂入りをしている。プルバンのほかにも、この年のド・リード男爵の所有馬はレスクース(Rescousse)が仏オークスを勝っている[2]

プルバンは日本で種牡馬になった。日本ダービーでハナ差の2着になったリンドプルバン阪神大賞典を勝ったアリーナオーを出した。プルバンの種付け料は120万円で、これは同時代のコントライト(100万)、サンシー(100万)などよりも高く、テスコボーイ(140万)[3]に匹敵する[4]。母の父としては小倉大賞典などに勝ったワイドバトルを出している。

脚注

  1. New Straits Times紙 1972年9月18日版
  2. The Telegraph紙 2004年7月10日 baron de Rede氏の生涯2013年11月12日閲覧。
  3. ただし、テスコボーイは軽種馬協会所有で価格は抑えられていた
  4. この他で言うと、高いものはノーザンテースト300万、トライバルチーフシルバーシャークが250万、エルセンタウロダイアトムドンネヴァービートボールドアンドエイブルが200万である。『サラブレッド種牡馬銘鑑』第5巻,1979,巻末資料より

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