Hunter's Moon
Godolphin Arabian | Cade | Matchem | Trumpator | Sorcerer | Comus | Melbourne | West Australian | Solon |
Barcaldine | Marco | Marcovil | Hurry On | Hunter's Moon |
ハンターズムーン(Hunter's Moon)はイギリス産の競走馬で、ニューマーケットステークスに勝った。ハイペリオンの半兄であり、ファラモンド、シックルの半弟である。引退後は南米で種牡馬になり、南米各国でたくさんの活躍馬を出し、その子らも優れた種牡馬となった[1][2]。
Hunter's Moon | ハリーオン系 | |||
性 | 牡 | Hurry On 1903 栗毛 イギリス |
Marcovil | Marco |
毛色 | 鹿毛 | Lady Villkins | ||
生年 | 1926 | Toute Suite | Sainfoin | |
生産地 | イギリス | Star | ||
生産者 | 第17代ダービー伯爵 | Selene 1919 鹿毛 イギリス |
Chaucer | St.Simon |
馬主 | 第17代ダービー伯爵 | Canterbury Pilgrim | ||
調教師 | ジョージ・ラムトン | Serenissima | Minoru | |
成績等 | 8戦3勝 | Gondolette F-No.6-e |
ハンターズムーンは第17代ダービー伯爵の生産馬である。母は名繁殖牝馬のシリーンで、ハンターズムーンはシックル、ファラモンドの半弟として生まれてきた。シックルとファラモンドの父はスピードタイプのファラリスで、彼ら自身もスピードタイプで小型の競走馬だったが、ハンターズムーンの場合は父がファラリスとは正反対のスタミナタイプのハリーオンである。この配合にはスタミナや馬格を加える意図があったと考えられている[1]。
馬名の「Hunter's Moon」は、「中秋の名月」を表すイギリスの表現で、1940年にロシア皇太子ハンデキャップを勝った同名異馬がいる。
競走成績
ハンターズムーンが誕生した1926年には、1歳上のファラモンドは競走年齢には達しておらず、2歳上のシックルも2歳になったばかりであった。シックルは2歳戦でそこそこの活躍(ミドルパークステークス2着、シャンペンステークス3着)をし、3歳になって2000ギニーでも3着になった。ファラモンドも2歳でミドルパークステークスを勝った[3][1]。
ハンターズムーンは2歳戦(1928年)で2度出走し勝てなかったが、プリンスオブウェールズステークスで3着に入った[1]。
3歳時(1929年)には、ニューマーケット競馬場の小さなステークスで初勝利をあげ、2000ギニーでは4着だった。しかしそのあと、10ハロンのニューマーケットステークスで、2000ギニーを勝ったミスタージンクス(Mr.Jinks)を破って優勝した[1]。
しかし、その後はスネを痛がって十分な調教ができず、ダービーは4着に終わった。ほかにグラトウィックプロデュースステークスを勝ち、ユニオンジャックステークスで2着になったが、スネの状態が思わしくないため、セントレジャーは自重し、そのまま引退した[1]。
種牡馬成績
ハンターズムーンは1929年の夏に引退したが、そのまま種牡馬としてアルゼンチンへ輸出された。南半球のアルゼンチンでは8月末から種付けシーズンが始まるので、この1929年からすぐに種付けを行った。ハンターズムーンはアルゼンチンで成功し、多くの活躍馬を出した。アルゼンチンの種牡馬ランキングでは、1935年に3位、1938年に4位、1939年に2位になった。これらを支えたのが、クラシックに勝った3頭の牝馬である[1]。
ハンターズムーンは後にブラジルへ移動し、ブラジルでも成功した。そのほか、チリやペルーでも産駒が活躍した。活躍した産駒はそれぞれ種牡馬となっても成功したほか、ハンターズムーンは牝馬の父としても大成功し、特に1954年にはアルゼンチンのBMSチャンピオンになっている[1]。
3頭の名牝
ハンターズムーンは、アルゼンチンで3頭のクラシック勝馬を出した。フーラ(Hulla)はアルゼンチンの1000ギニー(Polla de Potrancas、ポージャ・デ・ポトランカス)とオークス(Gran Premio Seliccion、セレクシオン大賞)を勝ち、ヒア!(Hear!)はアルゼンチンオークスに勝った。また、ハーフクラウン(Half Crown)はアルゼンチンの1000ギニーのほか、5月25日大賞(Gran Premio 25 de Mayo)、ホルヘデアトゥーチャ大賞(Gran Premio Jorge Atucha)に勝った。古馬になっても5戦全勝で大レースに勝った。ハーフクラウンは1940年代のアルゼンチンの最強馬の1頭とされている[4][1]。
ハンターズムーンの主な父系子孫
*太字は本項で説明している馬。 *「亜」はアルゼンチン、「伯」はブラジル、「智」はチリを指す。
- Hunter's Moon
- |Helium 牡馬 1931 ブラジル大賞典
- ||Loretta 牝馬 1945 アルシアノ・デ・アギアール・モレイラ大賞典G1
- |Hear! 牝馬 1932 亜オークス
- |Hulla 牝馬 1934 亜1000ギニー、亜オークス
- |Holy Smoke 牡馬 1938 亜ジョッキークラブ大賞
- |Carnaval 牡馬 1939 サンティアゴ馬事協会賞
- |Taltal 牡馬 1939 ビニャデルマール大賞典
- ||Combatiente 牡馬 1947 ポリャデポトリリョス
- |Postin 牡馬 1940 ペルーリーディングサイヤー
- ||Rio Pallanga 牡馬 1952 ペルー三冠馬
- ||Pamplona 牝馬 1956 ペルー四冠馬
- |Half Crown 牝馬 1942 亜1000ギニー、5月25日大賞
脚注
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 1.7 1.8 サラブレッドヘリテイジ ハンターズムーン
- ↑ 引用エラー: 無効な
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タグです。 「yamano_1970
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ サラブレッドヘリテイジ ハリーオン
- ↑ サラブレッドヘリテイジ ハリーオン