Samos

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Barcaldine  Marco  Marcovil  Hurry On  Precipitationn  Sheshoon 

サモ(Samos[1]はハリーオン系らしい典型的なステイヤーで、3歳時にロワイヤルオーク賞(3100メートル)に勝ったほか、ヨーロッパの長距離戦線で長く活躍した。イギリスではSamosという競走馬が過去にいたので、SamosIIIと表記される場合もある。

サモ Samos ハリーオン系
牡馬 Sheshoon
1956年 栗毛 アイルランド
Precipitation Hurry On
毛色 栗毛 Double Life
生年 1964 Noorani Nearco
生産地 ドイツ Empire Glory
生産者 Solotänzerin
1954年 栗毛 ドイツ
Ticino Athanasius
馬主 マルジ・バチャーヌ伯爵夫人 Terra
調教師 Sansovina Niccolo Dell'Arca
成績等 Serangela F-No.-

サモは祖母の父がハリーオン系のニコロデラルカで、ニコロデラルカはネアルコの半弟であるから、サモにはハリーオン3×5とノガラ4×4、そしてファロス4×5という込み入った近親交配が行われている。

サモは3歳の秋にラロシェト賞(3000メートル)、フランスのセントレジャーに相当するロワイヤルオーク賞に勝った。翌年(1968年)には、春のバルブヴィル賞(3100メートル)で短首差、短首差の3着になり、ジャンプラ賞(3100メートル[2])とアスコットゴールドカップ(4023メートル)で2着、さらにケルゴルレイ賞(3000メートル)で3着になった。これらの競走を勝ったのは全てパルダロ(Pardallo)だった[3]

このあとサモは2400メートルの競走に挑んだが、サンクルー大賞典(2400メートル)で6着、凱旋門賞(2400メートル)でも8着に敗れた。2400メートルではサモにとっては距離が短すぎるのは明らかだった。凱旋門賞の後、適距離にもどったグラディアトゥール賞(4800メートル)ではロシア皇太子ハンデキャップ優勝馬のメジャーローズ(Major Rose)に2馬身半差をつけて快勝した[3]

サモは5歳になっても走ったが、バルブヴィル賞3着、ジャンプラ賞2着、カドラン賞3着、ケルゴルレイ賞3着と善戦どまりだった[3][4][5]

サモはブラジルで種牡馬になり、南米で大成功して父系を広げた。その子孫は2000年代にも南米で走っている。

カテゴリー

  1. Samosの名前は、イギリス風に発音するなら「サモス」、フランス風に発音するなら「サモ」となる。本項では本馬がフランスクラシック戦に勝っていることから、フランスよみの「サモ」を採用する。
  2. 2013年現在1600メートルで行われている3歳G1戦のジャンプラ賞とは異なり、古馬の長距離戦の「ジャンプラ賞」があった。現在この競走はヴィコンテッス・ヴィジエ賞G2となっている。
  3. 3.0 3.1 3.2 『凱旋門賞の歴史』第2巻(1952-1964)アーサー・フィッツジェラルド・著、草野純・訳、財団法人競馬国際交流協会・刊、1996,p76-77,81,97
  4. 『日本の種牡馬録1』白井透・著、サラブレッド血統センター・刊、1969、p103
  5. Galopp-Sieger Samos競走成績