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2015年5月10日 (日) 17:27時点における版

モンフィスMon Fils[1]はシェシューンの産駒で、1973年にイギリス2000ギニーに勝ち、産駒のなかで最初のイギリスのクラシック勝馬になった。

モンフィス Mon Fils ハリーオン系
Sheshoon
1956年 栗毛 アイルランド
Precipitation Hurry On
毛色 鹿毛 Double Life
生年 1970 Noorani Nearco
生産地 イギリス Empire Glory
生産者 J. Davis Now What
1956年 鹿毛 イギリス
Premonition Precipitation
馬主 Mrs. Brenda Davis Trial Ground
調教師 Richard Hannon Orange Flash Court Martial
成績等 10戦3勝 Nonats F-No.1-g
  • 10戦3勝
  • 主な勝鞍 2000ギニーG1、ミルリーフステークスG2

モンフィスの生産者・所有者はデーヴィス夫妻で、その血統はプレシピテーション2×3という、現代の常識からすると強い近親交配が特徴的である。ほかにも、ハリーオンの近親交配(3×4×5)、ファラリスの近親交配(5×6×6)[2]も有しており、かなり極端な近親交配が強調された血統である。モンフィスはイギリス南西部のウィルトシャーエヴァレーの若手調教師、リチャード・ハンノンに預託された。

1972年にモンフィスは2歳でデビューし、その都市は7戦4勝の成績を残した。そのうち最も大きな競走での勝利は6ハロンのミルリーフステークス(G2)である。そのほか、チェザムステークスで2着、オブザーヴァーゴールドカップ(G1)では着外だった。この年のフリーハンデではオブザーヴァーゴールドカップの優勝馬で2歳チャンピオンのノーブルデクリー(Noble Decree)から14ポンド(約6.3キログラム)低い116ポンド(52.6キログラム)の評価を与えられた。

3歳(1973年)になると、ニューベリー競馬場の7ハロン(1408メートル)の直線で行われるグリーナムステークスで3着に入り、直線コースで行われる春の2000ギニーへ出走した。モンフィスは51倍と人気がなかった。雨の影響で不良馬場になり、モンフィスはスタート同時に先手を取った。じきに、ノーブルデクリー(Noble Decree)が先頭を奪ったが、モンフィスも差のない2番手をずっとついていき、最後に内側から伸びてノーブルデクリーと並んでゴールした。写真判定の結果、アタマ差でモンフィスが優勝した。リチャード調教師は1992年、2010年、2011年に全英最優秀調教師に選ばれるほどの成績をあげることになるが、モンフィスでの2000ギニー優勝は、リチャード調教師にとって初めてのイギリスクラシック優勝だった[3]

スタミナ系で名高いハリーオン系であることからモンフィスはダービーでさらに期待を集めることになった[4][5]が、堅い馬場と距離に阻まれて25頭立ての18着に敗れた。ダービー敗戦後、モンフィスはアイルランドのヴィンセント・オブライエン調教師のもとへ送られた。しかし脚部不安から結局それ以降1戦もしないまま引退した。

モンフィスは種牡馬になり、すぐにフランスへ輸出された。

脚注

  1. Mon Filsの馬名は、原語であるフランス語風に読むと「モンフィル」のようになる。しかし本馬はイギリスで主要な勝鞍をあげ、イギリス風に「モンフィス」と読まれることが多く、出典『競馬 サラブレッドの生産および英国競馬小史』『日本の種牡馬録3』等にしたがって「モンフィス」とした。「モンフィルス」のように表記する出典もある(『最新名馬の血統 種牡馬系統のすべて』)。
  2. 4代前のファロスと5代前に2度出現するフェアウェーは全兄弟であるので、ファラリスおよびスカパフローの近親交配と見ることもできる。
  3. The Montreal Gazette紙 1973年5月7日付2013年11月16日閲覧。
  4. The Age紙 1973年6月6日版2013年11月16日閲覧。“Mon Fils' Newmarket form should win nine out of 10 Derbys.”「2000ギニーの様子で行くと、ダービーを勝つ可能性は9割。」
  5. The Age紙 1973年6月7日版2013年11月16日閲覧。“The British sporting Press were picking 5-1 favorite Mon Fils to win”「モンフィスが5対1(6倍)でダービーの本命。」

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