イクエヒカル
Godolphin Arabian | Cade | Matchem | Trumpator | Sorcerer | Comus | Melbourne | West Australian | Solon |
Barcaldine | Marco | Marcovil | Hurry On | Precipitationn | Sheshoon |
イクエヒカル | ハリーオン系 | |||
性 | 牡 | スティンティノ Stintino |
Sheshoon 1956年 栗毛 アイルランド |
Precipitation |
毛色 | 鹿毛 | Noorani | ||
生年 | 1978 | Atalaya 1955年 鹿毛 フランス |
Auriban | |
生産地 | 日本・浦河 | White Rose | ||
生産者 | 酒井牧場 | *ギフトオブガッブ Gift of Gab |
Princely Gift | Nasrullah |
馬主 | 酒井明 | Blue Gem | ||
調教師 | 松山康久(美浦) | Sea parrot | Ocean Swell | |
成績等 | 44戦10勝 | Precious Polly |
出自
イクエヒカルは、マックスビューティやホクトベガで知られる浦河の名門酒井牧場で生産された。
母馬ギフトオブガッブはイギリスからの輸入馬で、酒井牧場にふさわしい良血牝馬である。5代母があのプリティポリー(Pretty Polly)で、祖母のシーパロット(Sea Parrot)はヨークシャーオークスの優勝馬、その産駒にもイギリスの重賞勝ち馬が複数出ている。これで父がプリンスリーギフトなのだから、ギフトオブガッブは1970年代の繁殖牝馬としては一流の血統馬である。ギフトオブカップに配合されてきた種牡馬からも、その期待の大きさを窺い知ることができる。
日本での1番仔は持ち込み馬で、父がセントパディ(St.Paddy)、それからハードリドン、ネヴァービート、ボンモーと、スタミナ系の期待が高かった種牡馬が毎年配合されてきた。
イクエヒカルも父がハリーオン系で、エプソムダービーでニジンスキーと接戦を演じたスティンティノだから、当時としては期待が高かった種牡馬である。
競走成績
イクエヒカルは1978年生まれの世代で、カツトップエース、サンエイソロン、ミナガワマンナらと同世代である。
ハリーオン系は世界中でスタミナ血統として栄えたが、ヤサカやカネツセーキに代表されるように、例外的に日本ではむしろ「スプリンター」として実績があり、イクエヒカルもその典型だった。
イクエヒカルは1200メートルで1分8秒8の走破時計をもっていて、これは当時のスプリンターズSのほとんどの勝ちタイムよりも早かった。スプリンターズSがこれより早いタイムで決着したのは、1967年の創設から1982年の16回中、サクライワイが1分8秒4で勝った1回だけで、あとはみんな1分9秒台かそれより遅かった時代である。
1983年のスプリンターズSには12頭が集まった。1番人気はゲイルスポートで、イクエヒカルは2番人気になった。ゲイルスポートはいつものように逃げてゴール前失速して4着になったが、イクエヒカルは精彩を欠いて7着に終わった。イクエヒカルは翌年もスプリンターズSに挑んだが、最下位に終わっている。
4歳の暮れ(1982年)に中山競馬場のウインターS(準OP、芝1200m)を勝ったほか、長く準オープン級で活躍した。府中S(準OP・1600m)、丹沢特別(準OP・1600m)に勝ち、快速馬として活躍した。格上挑戦のオープン戦では、春の新潟の谷川岳S(OP・1600m)で3着になったのが最高の成績だった。
イクエヒカルが距離の壁を破った唯一の例外が、1987年夏の福島テレビ杯(準OP・2000m)である。このときイクエヒカルは9歳(当時の表記では10歳)で、8頭の出走馬のうち、6番人気だった。ところが、増沢末夫騎手は不良馬場を活かして逃げをうち、本命馬の追撃を半馬身振り切って10歳馬による逃げ切り勝ちを決めた。
10歳にしてオープン入りしたイクエヒカルは、このあと新潟に転戦してBSN杯(1200m)で4着に入ったあと、関屋記念(GIII・1600m)で重賞初挑戦をしたが10頭中8着に敗れている。(勝馬はクールハート。)
イクエヒカルはこの関屋記念を最後に引退し、種牡馬になった。ただし、JBISで確認できる産駒は未勝利馬1頭だけである。