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(競走成績)
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イクエヒカルは1978年生まれの世代で、[[カツトップエース]]、[[サンエイソロン]]、[[ミナガワマンナ]]らと同世代である。
 
イクエヒカルは1978年生まれの世代で、[[カツトップエース]]、[[サンエイソロン]]、[[ミナガワマンナ]]らと同世代である。
  
血統背景とは裏腹に、イクエヒカル自身は晩成の中級マイラーに成長した。4歳の暮れに中山競馬場のウインターS(準OP、芝1200m)を勝ったほか、長く準オープン級で活躍し、ほかにも福島テレビ杯(準OP・2000m)、丹沢特別(準OP・1600m)、府中S(準OP・1600m)に勝った。
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血統背景とは裏腹に、イクエヒカル自身は晩成の中級マイラーに成長した。4歳の暮れに中山競馬場のウインターS(準OP、芝1200m)を勝ったほか、長く準オープン級で活躍した。府中S(準OP・1600m)、丹沢特別(準OP・1600m)に勝ち、快速馬として活躍した。格上挑戦のオープン戦では、春の新潟の谷川岳S(OP・1600m)で3着になったのが最高の成績だった。
  
オープン級では、春の新潟の谷川岳S(OP・1600m)で3着になったのが最高の成績だった。イクエヒカルは8歳の夏まで走り、重賞に挑戦した1987年の関屋記念(GIII・1600m)では10頭中8着に敗れている。(勝馬は[[クールハート]]。)
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ハリーオン系は世界中でスタミナ血統として栄えたが、[[ヤサカ]]や[[カネツセーキ]]に代表されるように、例外的に日本ではむしろ「スプリンター」として実績があり、イクエヒカルもその典型だった。
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イクエヒカルが距離の壁を破った唯一の例外が、1987年夏の福島テレビ杯(準OP・2000m)である。このときイクエヒカルは9歳(当時の表記では10歳)で、8頭の出走馬のうち、6番人気だった。ところが、[[増沢末夫]]騎手は不良馬場を活かして逃げをうち、本命馬の追撃を半馬身振り切って10歳馬による逃げ切り勝ちを決めた。
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10歳にしてオープン入りしたイクエヒカルは、このあと新潟に転戦してBSN杯(1200m)で4着に入ったあと、関屋記念(GIII・1600m)で重賞初挑戦をしたが10頭中8着に敗れている。(勝馬は[[クールハート]]。)
  
 
イクエヒカルはこの関屋記念を最後に引退し、種牡馬になった。ただし、JBISで確認できる産駒は未勝利馬1頭だけである。
 
イクエヒカルはこの関屋記念を最後に引退し、種牡馬になった。ただし、JBISで確認できる産駒は未勝利馬1頭だけである。

2015年5月13日 (水) 16:26時点における版

イクエヒカル ハリーオン系
スティンティノ Sheshoon
1956年 栗毛 アイルランド
Precipitation
毛色 鹿毛 Noorani
生年 1978 Atalaya
1955年 鹿毛 フランス
Auriban
生産地 日本・浦河 White Rose
生産者 酒井牧場 *ギフトオブカップ Princely Gift Nasrullah
馬主 酒井明 Blue Gem
調教師 松山康久(美浦) Sea parrot Ocean Swell
成績等 44戦10勝 Precious Polly

出自

イクエヒカルは、マックスビューティホクトベガで知られる浦河の名門酒井牧場で生産された。

母馬ギフトオブカップはイギリスからの輸入馬で、酒井牧場にふさわしい良血牝馬である。5代母があのプリティポリー(Pretty Polly)で、祖母のシーパロット(Sea Parrot)はヨークシャーオークスの優勝馬、その産駒にもイギリスの重賞勝ち馬が複数出ている。これで父がプリンスリーギフトなのだから、ギフトオブカップは1970年代の繁殖牝馬としては一流の血統馬である。ギフトオブカップに配合されてきた種牡馬からも、その期待の大きさを窺い知ることができる。

日本での1番仔は持ち込み馬で、父がセントパディ(St.Paddy)、それからハードリドンネヴァービートボンモーと、スタミナ系の期待が高かった種牡馬が毎年配合されてきた。

イクエヒカルも父がハリーオン系で、エプソムダービーでニジンスキーと接戦を演じたスティンティノだから、当時としては期待が高かった種牡馬である。

競走成績

イクエヒカルは1978年生まれの世代で、カツトップエースサンエイソロンミナガワマンナらと同世代である。

血統背景とは裏腹に、イクエヒカル自身は晩成の中級マイラーに成長した。4歳の暮れに中山競馬場のウインターS(準OP、芝1200m)を勝ったほか、長く準オープン級で活躍した。府中S(準OP・1600m)、丹沢特別(準OP・1600m)に勝ち、快速馬として活躍した。格上挑戦のオープン戦では、春の新潟の谷川岳S(OP・1600m)で3着になったのが最高の成績だった。

ハリーオン系は世界中でスタミナ血統として栄えたが、ヤサカカネツセーキに代表されるように、例外的に日本ではむしろ「スプリンター」として実績があり、イクエヒカルもその典型だった。

イクエヒカルが距離の壁を破った唯一の例外が、1987年夏の福島テレビ杯(準OP・2000m)である。このときイクエヒカルは9歳(当時の表記では10歳)で、8頭の出走馬のうち、6番人気だった。ところが、増沢末夫騎手は不良馬場を活かして逃げをうち、本命馬の追撃を半馬身振り切って10歳馬による逃げ切り勝ちを決めた。

10歳にしてオープン入りしたイクエヒカルは、このあと新潟に転戦してBSN杯(1200m)で4着に入ったあと、関屋記念(GIII・1600m)で重賞初挑戦をしたが10頭中8着に敗れている。(勝馬はクールハート。)

イクエヒカルはこの関屋記念を最後に引退し、種牡馬になった。ただし、JBISで確認できる産駒は未勝利馬1頭だけである。

脚注

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